お盆最終日、家で過ごしているまさりんです。
もしかすると、このブログをUターン中の新幹線のなかなどで見ているという人もいるかもしれませんね。私は、一族が同じ県に住んでいるので、旅みたいに帰省した経験がありません。大変なんでしょうね。焦らずに余裕を持って帰ってきて下さい。
それにしてもお盆の三日間、どうも眠い。一日中、眠くて眠くて、しかたがありません。今も眠い。眠って、起きて、出かけて、眠って、食べて。そんな生活を送っています。バテてきているのでしょう。またうなぎかな。
今週のお題特別編「はてなブログ フォトコンテスト 2015夏」
にも参加しておきます。
さて、今回は、新宿歴史博物館で八月三〇日まで開催されている、「新宿と熊本をつなぐ作家、漱石・八雲」展に行ってきました。
この新宿歴史博物館は、JRの四谷と信濃町の間にあり、両方の中間に位置します。昨日炎天下のなか、歩いてしまいました。着くまでにびっしょり汗を書いてしまいました。今年は暑いです。暑さ対策をしてお出かけ下さい。
外観はちょっとした市役所といった感じ。
入ると正面に受付があってそこで料金を払います。企画展と常設展を合わせて五〇〇円でした。
1,常設展
※以下、写真は撮影フリーのところで撮影しました。
ここでは新宿の歴史について紹介しています。
a)太古の新宿
もう想像がついたと思いますが、太古の新宿はほぼなにもありません。周辺から出て来た土器などを紹介していました。
b)中世から近世までの新宿
中世までに、各地を通る街道が整備されました。新宿は甲州街道にあります。1698年に、内藤氏が幕府に許可を得て、「内藤新宿」を開設しました。日本橋から遠かったんですね。
こんな感じ。
次に江戸の史料である、人別帳が展示されています。これらの資料は江戸の支配が文字を読めることを前提としているということを示しています。有名な話ですが、幕末当時の日本は驚異的な高さで識字率が高かったと言われています。ちなみに、現在は少々識字率が落ちているという話を聞きます。本当かどうかは知りません。
そして、江戸時代の商家の歴史が紹介されます。野口家の展示があります。
年中行事がいくつか紹介されています。知らなかったものを列挙します。
1月7日 夜爪を切る。器に水を入れ、七草を浸し、その中に爪を入れて切る
2月8日 事始め 家庭内の縫いものを始める。
7月13日 お盆 みそはぎを水に浸して、那須のさいの目切りをぬらし礼拝する。
12月8日 こと納め おこと汁を作る。
いろいろな祭りがあるのですが、そこでなにを食べるかは、予め決まっているようでした。
C)近代の新宿
ここでは新宿と縁のある文学者について、展示されています。中心はやはり夏目漱石でしょうか。「新宿の漱石」として、どれだけの縁があるかが紹介されています。生誕の地と終焉の地が新宿でした。また、「吾輩は猫である」の主人公の猫殿の碑がある公園がこれまた新宿にあります。もともと、夏目家が名主賭して納めていたのがやはり新宿でした。
なかには「漱石山房」という、終焉の居宅の模型がありました。結構広い家でした。貸家だったらしいです。この家に様々な弟子がやって来て、弟子が集まる用の部屋までありました。
新宿を走るチンチン電車のレプリカが以下の写真です。
昭和初期には我々の知っている、少々退廃的な歓楽街である新宿が前面に出ています。ムーランルージュ、百貨店第一号ホテイ屋、文化住宅などが展示されていました。
とても丁寧に資料が作られていて、これらの資料を集めて、フリーゾーンで撮った写真を添えると、そのままレポートになってしまう、という感じでした。学芸員さんや区の力の入れ方がよくわかりました。
夏休みの宿題が・・・・・・。あ、メインを紹介し忘れました。
これに加えて、「漱石と八雲」の展示がありました。
こちらは撮影ができなかったので、文章で紹介します。
1,漱石と八雲
ふたりの年齢は17才の差があります。まるで追いかけるように、漱石は八雲のあとを追います。その一つが熊本でした。熊本でふたりがどのような生活をしていたのかが展示されているという、ちょっとマニアックなものでした。
2,漱石と八雲の違い。
それは熊本五校におけるふたりの授業に出ているように思います。八雲は資料も教科書もなにも持ってこずに教場に現われます。そして、一気呵成に英語を黒板に書きつけます。それを生徒は必死に書き写します。きっと意味もわからずに。帰宅して内容を確認すると、日本人に必要な文法上の注意などが過不足なく書かれているらしいです。
一方で、漱石の授業は教科書を読むこと一辺倒だったらしいです。下調べをしてこないと怒られて、容赦なく落第をさせる先生だったそうです。授業中に詰まると、「どうした下調べしてこなかったのか」と言われるのだそうですが、予習をしてこないと怒られるので、誰も質問できなかったそうです。
八雲はミステリアス、漱石は生真面目といったところでしょう。
八雲はそののち帝大の先生になるのですが、やはり人気があったそうです。そののち、解任され漱石にバトンタッチするのですが、八雲留任騒動が起こったほどです。漱石自身、「小泉先生には勝てない」と言っていたそうです。
3,意外な一面
熊本において八雲の長男が誕生します。そのとき喜びのあまり、飛び上がり、産婆さんにキスをしたそうです。私にとってですが、こういう面があるというのを知らなかったので意外な思いがしました。
漱石は熊本時代、ボート部の顧問を務めます。ボートの購入代金を生徒が使い込んだことがあったそうです。漱石はひと言も文句を言わず、ぽんと代金を立て替え、責任を取って顧問を辞めたそうです。
このようにふたりの人間味が様々見える展示でした。特に漱石は一番有名な作品が「こころ」であるために、難しい人物だと思われているのではないでしょうか。しかし、実際は寄席通いをするほど、洒落などがわかる人物なのです。そういうことがよくわかるので、とても楽しかったです。
それにしても、漱石愛用の長襦袢はどうしてあんなにも派手だったのでしょうか。また、目が悪いからか、八雲の写真が全部横向きだったのが、また(不謹慎ですが)ミステリアスさに拍車を掛けていました。