今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

第十一回短編小説の集い 出品作品「九月一日」。苦労した。

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 やあ、まさりんだよ。

 

 今回も恒例企画「短編小説の集い」に参加します。ぜろすけさん。よろしくお願いします。いつもながらギリギリになってしまってすいません。

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

「九月一日」

 台風一過の涼しい日だった。

 郷土史家を目指すことに決めたケンジに付き添って、図書館まで来た。なんでも研究をするうえで重要な史料があるらしく、郷里から車で小一時間は走ったであろうこの地へやって来た。三人は分かれてボクはDVD、シホはキッズコーナーで児童文学を、ケンジは史料を見ていた。はずだった。夢中になって「人形劇三国志」を見ていると、メインカウンターの前を何かを抱えたシホが走り去っていったのが見えた。嫌な予感がしたが、初めは無視した。が、ケンジに呼ばれて、図書館の一番奥にある社会人専用席にやってきた。図書館はまずまずの混み具合で、低い本棚、高い本棚、そして人々を縫うようにして、社会人専用席までやって来た。

 「なにやってんだよ」と周囲にはばかり小声で言って、若者をヘッドロックしているシホの腕を解いた。

 「なんかキッズコーナーに飽きちゃってもっと奥に行ってみたの。そしたら、フレンドコーナーっていう入りにくい部屋があるの。そこにぽつんとコイツがいて声かけたの。そしたら涙ぐんで『死にたい』とか言い出して。話を聞いてたらなんか頭にきちゃって、だから頭ひっぱたいてやったの。そしたら、逃げるから、捕まえてきたの」

 と興奮気味にまくしたてた。

この状況、「シホが悪い」では済まない深さがある話だ。きっと若者は寂しそうに見えたのだろう。本当は放っておいたほうがいいけど、声をかけたのはからかいたいというより、善意である気がした。だが、愛情の裏返しであると言えないでもない。エスカレートして、「逃げたから捕まえた」というのはいただけない。

 嫌な予感しかしない。面倒な話であるのはわかりきっているからだ。ともかくこの若者のことを聞いてあげて、及ばずながら力になるべきだろうと考えた。少なくともシホの蛮行の埋め合わせくらいしなければならない。

 「君、名前は」、椅子に若者を座らせた。シホの行為をあやまったあとそう尋ねた。始めは興奮して話したがらなかった。やがて上がっていた息が治まると訥々と語り始めた。

 名前はシンイチ、中学二年生だそうだ。少し太り気味の背中を丸め、膝に肘をつき、つま先を見つめて話した。学ランだけど改造などはしていなさそうだった。

 「九月一日、学校に行きたくないんです」

 またいじめか、と勘繰った。

 シンイチの通う中学校は、ここいらの人間なら「ああ」と言うくらいの進学校だ。中高一貫の学校だった。シンイチは小学校の成績が優秀で、当然の如くこの学校へ通った。様々な大人からも勧められた。勉強をすることが嫌いではなかったので、シンイチは誇らしい思いで周囲の期待を受け入れた。

 当たり前だが、シンイチの通う学校はシンイチと同じ程度の学力を持つ中学生が集う。一年目にして、シンイチは「神童」の位置から「凡人」に堕した。小学校のころは心ゆくまで楽しんで勉強をしていたのに、いつのまにか競争の道具となった。とても苦しい、と感じるようになった。小学校のころまでは周囲の賞賛に面映ゆいながら、誇らしくもあった自分を思い出すようになった。

 シンイチの通う学校は、中学二年から選抜クラスが編成される。それは二学期までの成績を参考に三学期に編成される。さらに厳しい指導を受け、クラス替えもなかった。つまり、いったん指導の方針やクラスの人間関係になじめなければ、地獄のような日々を送ることとなる。シンイチはギリギリ選抜に引っかかった。

 まだまだ子どもであることも考慮して、学校では十分な三者面談をしてから選抜に入るかどうかを決定する。シンイチはあまり気乗りでなかった。勉強をすることが苦しくなったからだ。ところが、周囲の大人は熱心に勧めた。教師の言い分は、「高いレベルの内容になれば楽しくなるかもしれない」という訳の分からない話であった。

シンイチの家は母子家庭であるがその母親のイメージは小学校のころの栄光のなかにあるシンイチであった。不遇な母親の人生のなかでシンイチは希望であり、誇りであった。シンイチの心情をあまり忖度しないで、「この子は勉強が好きですから」と選抜入りを受け入れてしまった。

 あとは推して知るべし。中学二年になった。凄まじい速度で行なわれる授業、それについていく同級生、残されるシンイチ。成績は下位になり、勉強が嫌いになった。自分には才能がないと思った。本当はバカなのだと思った。コミュ障なんだと思うほど他人と会話ができなくなった。なぜかどんどん太った。常にどこか体調が悪いのだ。街で笑い声を聞くのが一番苦痛だった。

 同級生の男子には空気のように扱われた。教師からは罵られるようになった。女子には汚物扱いを受けた。席は常に一番後ろになった。少しでもシンイチの後ろに生徒がいると、プリントなどを配るとき、シンイチの触ったプリントを受け取らなければならないからだ。それを女子は特に嫌がった。

 中一の担任がそのまま選抜の担任になった。要するに、こじつけでも自分のクラスから一人でも選抜にいれることが、この教師の名誉であり、実績になるのだ。この教師の期待を裏切ったシンイチは終始罵られるようになった。だが、どうやったら成績があがるのか、具体的な案は一切出さなかった。いや、出せなかったのだろう。

 居場所を失ったシンイチは二年の六月には教室に入れず、徘徊するようになった。教師たちはその方が助かった。授業の質を落とさずにすむからだ。だが、業務上やらねばならないことだったのだろう。母親に電話が入った。母親の希望であった、誇りであったシンイチのイメージが一気に崩れていく。たった、一年少々で、「凡人」から「持て余しもの」に堕ちていった。

 

 シンイチの手の甲に涙がこぼれた。一応聞いた。

 「別にやりたいことがあるの」シンイチは首を振った。

この手の話は嫌いだった。学校外に世界があればそれでも耐えられるのだが、そういうクラスにいれば外の世界からは巧妙に隔離される。組織の人間関係が良好なら高い山にも登れるが、嫌な奴らといれば多少の段差でも蹴つまずく。シンイチは根本で間違っている気がした。本当は開き直るのがよいのだ。だが、大人としてそんなことは言えない。

 聞いた以上、大人として何か言わねば、と思い、月並みな文言を並べた。「死んでもいいことはない」とか「今は耐える時期で・・・・・・」とか「勉強に集中しろ」とか「恋をしろ」とか、考えられるだけの大人の常套句を並べた。正直面倒だった。シンイチの顔は浮かなかった。

 「今、言ってることって、『学校がおもしろい』ってことにならないとできないんじゃない? 嫌な奴を好きになれる?」とシホが余計なことを言った。余計なことを。本音は適当に片付けて帰りたいのに。

 「対案を出しなさいよ」と問うた。

 「ないよ」とはっきり言った。残酷だが本当のことだ。外に世界を持つことだが、親の理解と金がなければできないし、本人が乗り気でなければ意味がない。

 「逃げなさいよ。公立中に行けば良いんだよ」それがどれだけ恥か、相手の中学に歓迎されないか、想像すればすぐに分かるだろうに。

 この状況でもやはり学校に行くべきか、分からなくなった。経験上、それでも学校に食らいついた方が、その先が楽だと知っているが、それがこの場合適用できるかどうかは別だ。背中を押した場合、悲劇につながる可能性もある。シンイチはどうしたいのか。

 「分かりません。もう分からない」とさらに泣いた。

 「お前らうるさいよ」

 いきなりケンジに怒られた。三人ともビックリしてしまった。

 時間がないとせき立てられ、ボクらは図書館を後にした。なぜか勢いに負けたシンイチもついてきた。もしかするとシンイチは流されやすいのかもしれないと思った。

 

 図書館からケンジの運転でしばらく行くととあるお寺に着いた。寺は手を入れた木立というより、雑木林といった感じの林に囲まれていた。寺の奥に進むと木立に幕が張られていた。紫の幕には「鬼来迎」と白地で染め抜かれていた。垂れ幕の前には様々な年代の人々が並んでいた。一群は赤子を抱えた母親がいた。多くのカメラが舞台を狙っていた。舞台は有名人が能や狂言をやるような立派な舞台ではなかった。背面の岩には歯朶や笹が生い茂りその向こうには竹林が見える。舞台の下手には緑の生い茂った山がある。

 「何が始まるの」シホがケンジの方に首を伸ばして囁くように聞いた。

 ケンジは答える気がない。シンイチはキョロキョロしている。並んだシンイチは背が低く、シホと変わらなかった。

 やがて舞台の幕が横に引かれた。閻魔大王らしき装束と仮面を被った演者が悠然と現われる。続いて倶生神の天狗のような仮面と装束を着たものも現われる。ゆっくりと舞台を一周して、舞台奥で真ん中に鏡を置いて座る。次は鬼婆だ。鬼婆は少し太っていて長い白髪頭を振り乱しながら、舞台から客を威嚇する。真ん中の椅子に座る。

 「昔から鬼婆に抱かれると疳の虫が治まると言われています。順に名前を呼ぶのでどうぞ」とアナウンスされる。何だ何だ、と戸惑うボクに、「虫封じというんだ。見ててごらん」とケンジがボクの耳元に口を近づけるようにして教えてくれた。次々に手渡されて赤子が婆に抱かれる。婆はこわらしい顔を見せて恫喝する。赤子が泣くと歓声が上がる。シホがシンイチに「あんたも行ってきなさい」と母親みたいなことを言った。

 次に黒鬼と赤鬼が下手からやってくる。赤鬼は棍棒、黒鬼は縄でできた輪っかを持っている。鬼たちは脅すように足を強く踏みならし、汗を拭くような仕草をする。続いて、動じようの赤い装束を着て、薄衣を頭から被った亡者が現われる。鬼婆が閻魔大王の前に引き据える。手には包丁が握られている。倶生神の申告により亡者の地獄行きが決定する。

 「ナムアミダブツ、アミダブツ」気持ちのよい節回しが流れる。節回しに合わせて子どもが連れられてくる。先頭にはあの亡者だ。親より先に死んでしまったのだろう。おひねりが飛ぶ。誰か神々しい人がやって来る。神々しい人に連れられて、子どもたちは賽の河原からはけてゆく。

 「地蔵だよ。子どもを救うんだ」ケンジが解説してくれた。

 そして件の亡者は鬼婆、鬼どもに釜ゆでにされる。婆がうちわで扇ぎ火勢を強める。亡者は熱くて何度も釜から出ようともがくのであるが、その都度鬼に頭を押さえられる。

 クタクタに煮られた亡者は首を落として食べられそうになる。棒で折檻され、山の上に逃げようとするが、捕まり頭を石で殴られる。そこへ観音様がやってくる。観音は亡者を救う。代わりに卒塔婆を置いて去る。黒鬼が卒塔婆を持ちながら、地団駄を踏んで悔しがって物語を終わる。

 帰りの車では四人とも煮られた亡者のようにクタクタになり静かであった。

 「あれは鎌倉時代初期からある民間芸能なんだ。ものすごく分かりやすいだろ」ケンジが解説する。

 「もともと、お坊さんが虫生の集落に逗留したときに、娘が地獄に行くことになるという夢を見て、その両親に告げたのが始まりだったらしい。お盆には地獄の釜のふたが開くから、そのときに観音様が娘を救うんだね」

 「ボクにも観音様が来るってことでしょうか」シンイチにはケンジの心中が図りかねるのだろう。

 「いや、君とはなんの関係もないよ。気晴らしにはなると思ったけど。純粋に私が見たかっただけ。だってそうだろ、君の状況に答えなんかないよ。何かをとれば、何かを失う。勉強をとれば、自由な時間が失われる。自由な時間を取れば、君のプライドと学習の機会が失われる。教師の暴言は放っておくか、そうされないようにするか。選択するしかないんだよ。大人はみんな自分の立場でものを言う。何を選択しても、大人は不満を言うだろう。コイツらみたいに利害関係がなくたって『大人』って立場を勝手に作る」

 正論だけどさ。ボクもカノジョも、いたたまれない気分になった。

 「とりあえず、練習として九月一日に学校に行くかどうかを決断しろよ。行きたくなきゃ行かなきゃ良い。ただし死ぬな。君ほど酷くないけど大人だってごまかして生きている。夢中になるものがあって、何も考えないようにしているんだ。私はこういう祭りが楽しい。君にもそういうのが見つかるといいね」

 皮膚がパンパンの丸い顔をして、シンイチは再び泣いた。

 九月一日、彼がどういう決断をしたのか、ボクらは知らない。

――了―― (四九八五文字)←Word調べ。

 

ふう、なんとか書き切った。

 

 

 

 

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