今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

鬼怒川の決壊について書いてみました。

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 晴れ間が出て良かったと思っているまさりんです。

 すごく長かったですよね。昨日くらいから晴れて良かったと思います。ジョギングもできたしね。今回はその鬼怒川の氾濫に関する話題です。

 

 

 それにしてもこの前の鬼怒川の決壊はすごかったですね。

 あの日、私も朝、スマホで避難勧告の警報が鳴って、それに起こされました。もちろん、鬼怒川の流域ではありません。しかし、河川が複雑に入り組んだ地域であり、昔はそのせいで農地として利用しにくかったそうです。大きな川もあります。

 朝5:00にアラームで起こされ、内容が「避難勧告」だったので、外の様子をベランダに出て確認しました。外は拍子抜けするくらいの通常通り。もう一度勧告の内容を確認すると、勧告対象の住所がズレていました。もう少し河川の近くであり、大きな河川の方でした。

 驚いたのと同時に起床したので、再び寝る気にもなれず、朝食をコンビニに買いに行きました。外に出ると、通りの真ん中に工事等で使われる赤いコーンが立っていました。もしかすると、地面が陥没していて、注意せよという印かと思い近づくと、道路は正常でした。

 どこかの施設用のマイクロバスがやってきて、運転をしていたおじいさん(言い方がちょっと失礼か?)が降りてきて、コーンを通りの脇に寄せて、何もなかったかのように通り過ぎていきました。

 そこから200メートルくらい離れたところまでいったとき、同じようなコーンがいくつか並んでいました。想像するに、水が風か、どちらかがその場所までコーンを一つだけ移動させたのです。昨日の天候から考えるに、酔っ払いのいたずらだとは思えないのです。

 日曜の夜、ジョギングをしてコンビニに寄りました。コンビニばかりだとは思わないで下さい。買いものの忘れがあったのです。そこで、いつもひと言ふた言話すおばちゃんがいて、

「ここは大変でしたか」と聞きました。というのは、近所の河川の近くにコンビニはあったからです。「このあたりはそうでもなかったみたいだけど、私の住む地域は大変でした」といことでした。後ろに客が並んだので細かいことは聞かなかったのですが、その表情からは当時の恐怖が見えました。

 これを読んでいる人には、実際に被害に遭われた方もいらっしゃると思います。お見舞い申し上げます。

 

 さて、こういう災害は復旧と同時に、再発防止というか、我々は教訓をひきださなければなりません。自分で書いていても残酷だと思いますが。

 今日と明日のあさイチではそのような特集をするみたいです。

 

 取材では三家族で話を聞いていました。いずれも鬼怒川の近くに住んでいます。二つの家族は、家が水に飲まれ自衛隊に救助されました。一つの家族は自力で逃げました。

 三つの家族を分けたのは、「過去の経験からの慣れ」でした。増水して通りが水で埋まりつつあっても、避難しませんでした。家が低い所にあり、雨で増水することはよくあったという過去の経験から大丈夫だと思ってしまったようです。ご先祖からも、「鬼怒川が決壊しても、ウチは大丈夫だった」という話を聞いていたそうです。

 他に自衛隊のヘリに救助された家族の話では、近くの高速道路の工事をしていた人たちが、決壊の情報が流れたとき、目の前を逃げていったのに、避難しなかったそうです。これもやはり、過去の経験が「まさかウチは浸水しないだろう」という思い込みをさせたようです。みな一様に言うのは、「ご先祖様からそう言われた」ということです。

 

 しかし、東日本大震災津波のときには、過去の津波の経験から、ここまで逃げろという指示が先祖代々伝わっていて、それにしたがった人間が助かったという報道が幾つもなされました。それを聞いていてそのことを思い出しました。

 

 さて、自力で逃げた家族というのもいました。結論から言えば、この家族の場合、ご主人の防災意識が高かったことが幸いしました。(これはいただけませんが)ご主人は実際に鬼怒川の様子を見に行って、もう堤が破れそうだというのを確認しました。それで、避難準備を始めて、消防の人が「決壊したぞ」と触れて回っているのを聞いて、家を脱出したそうです。家は上記の家族より、鬼怒川の近くにありましたが、難を逃れました。

 このご主人、実は地域の防災担当をやっていたそうで、取材を受けた日にも救援物資を届ける作業をしていました。東日本の震災の教訓で、「自分だけは大丈夫と思うな」と思っていたらしいです。

 

 2,ではどうするか。

 ここで専門家が登場しました。「これは普段とは違うヤバいぞ」と思うことが重要だと話していました。今回は「警報が流れる前に多少あふれていた」という情報が流れていたそうです。ここできちんと判断すべきであったと言いたいのでしょう。

ただ、自分がどんなに小さくとも危機にあるときは、「大丈夫だ」と思いたがります。ここで危機意識を持つというのは結構難しいです。我々の日常生活でもそうでしょう。どんなに小さいことでも、危機にきちんと対処しようという意識はたいてい、「考えすぎ」だと判断されます。その後、「考えすぎ」ていた方向にコトが流れてもなかったことになります。

 

要は、経験したことのないことを正しく判断する、情報入手する手段を多く用意する、個人レベルの情報交換が必要、という話でした。しかし、情報が多ければ惑う要素も増えると言うことです。まったく経験のないことを判断するのですから。

結局どのくらいの水で避難を判断すれば良いのか、というのが話題になりますが、「それは難しい問題だ」というように、専門家にもはっきり判断できないようでした。

なんとなく、逃げそびれた人々を「自己責任」と切り捨てたくないというしんきょうになりました。その判断は無理だろう、と。

次に、NHKらしく、色々な指標の説明がありました。

<自治体が出す指標>

避難準備情報・・・・・・避難のために情報を集めたり、お年寄は避難を開始した方が無難。

避難勧告  ・・・・・・なにかしら安全を確保するための行動が必要。

避難指示  ・・・・・・避難を開始しているのなら、すぐに完了する。留まっている場合、避難するか、留まるかを判断しなければならない。

 

これも頻繁に出るもので、避難するかどうかの判断は難しいですよね。

          このあとも、指標について説明していました。しかし、自分が本当に避難しなければならない状態なのかを判断するのかは難しいと思いました。ただ、「特別」という名前がついた場合は最大級の警戒が必要なのだとわかりました。

 

          私の地域で避難勧告が出ていても、平穏だったように、これも対象の地域が実際に住んでいる身からすれば、広大だったりします。

 

          番組ではリアルタイムで、周辺のホームセンターの中継をしていました。そこでどんなものを買っているかを取材していました。あるご婦人が、買い物をしていました。ホースや除菌用のものを買っていました。話を聞いているうちに泣いてしまいました。おそらく、押し込めていたストレスが堰を切ったのでしょう。一番、被害の様子が伝わった瞬間でした。

 

 日本は自然災害が多い国です。しかも、東日本の震災以降、火山活動など、列島が活発に活動し始めているように感じます。まずは住んでいる地域について知ること、そしてそれを上回る災害が発生したときにどうするか、考えておく必要があるんでしょうね。

 私は今回の件で、家を持つのではなく、マンションの中層階に住もうと決めました。バカですね。

 

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