今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

評判悪いんだって? 「ハウルの動く城」を見ました。面白いと思うよ。

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 いろいろと作業をしながらの映画視聴シリーズ。今回は「ハウルの動く城」にします。様々なブログでレビューを見たのですが、あまり評価は芳しくないようです。一つは声優について、もう一つはストーリーについて。後半が難解なんでしょうね。これは、「風立ちぬ」に通じるところがあります。説明が少ないのです。その上、「風立ちぬ」は観念的な描写が多いんです。そして声の出演もやはり賛否が分かれました。

 では基本的な情報を書きます。

 この映画はダイアナ・ウイン・ジョーンズの「魔法使いハウルと火の悪魔」を原作にしています。ジョーンズさんはイギリスの作家で、二〇一一年に亡くなっています。

 声の出演は、主人公ソフィーに倍賞千恵子ハウル木村拓哉、荒れ地の魔女に美輪明宏マルクル神木隆之介カルシファー我修院達也です。

 

 あらすじを簡単に書きます。

 ソフィーは下町のしがない帽子屋で働いています。お父さんがこの店をやっていて、それを継いでいるようです。ちなみに容姿もお父さん似だと思われます。ちょっと地味なんですね。対照的にお母さんと妹が似ています。ハデなんです。

 ある日、軍隊が行進するお祝いの日店の女性たちは着飾って出かけていきます。それをよそに家に帰ろうとするソフィー、裏道でナンパされます。ナンパに戸惑っているソフィーを金髪の美少年が救います。それがハウルです。ハウルは追われていたのですが、二人は空を飛んで危機を回避します。

 ただ、不幸なことにハウル接触してしまったことで、トラブルに見舞われます。荒れ地の魔女に目をつけられてしまうのです。荒れ地の魔女は呪いをかけてソフィーを老婆に変えてしまいます。

 仕方なしに、町で「美女の心臓を食べる」と噂されているハウル接触を決意します。老婆になって、節々がきしむ身体を酷使して、ハウルの動く城へと向かいます。

 城に無事に着いたソフィーは掃除婦としてそこにいつきます。城にいたのは、マルクルと火の悪魔カルシファーです。カルシファーハウルの心臓を与える契約で城を動かしています。でも、ソフィーは契約をしていないのに、カルシファーを動かします。ソフィーは荒れ地の魔女の呪いを解いて欲しいのですが、それを他人に言うことができません。

 城のドアは脇のテレビのチャンネルのような装置を回すと、予め設定してあった場所に出られるようになっています。

 実はハウルは国の城つきの魔法使いの弟子です。それもかなり有望な。でも弱虫だったり、性格的に弱いところがあり、面倒なことから逃げています。そのなかに戦争の依頼もあります。ある国同士が戦争をしています。それにハウルは荷担するのを嫌がっています。

 ソフィーはハウルの母親になりすまして、「うちの息子は精神的に弱いところがあり、役に立ちません」と断りに行くことになります。そこで(なぜか)荒れ地の魔女と一緒に登城することになります。そこでハウルの師匠であるマダム・サリマンと彼女の飼い犬であるヒンと出会います。サリマンによって、荒れ地の魔女は無力化されてしまいます。

 すったもんだあって、サリマンによって捕縛されそうになったのをまいて、動く城に戻ってきます。安全のために、城を「引っ越し」させます。引っ越しといっても、城は動くので、設定を変えて、ドアを開けて出られる場所を変えたのです。

 そのなかに叔父の用意してくれた別荘が出てきます。ここは宿命の地です。ハウルはここで妖精のような、流れ星のような悪魔を呑み込んで、カルシファーと契約したのです。戦争が激化するなか、ハウルたちはどうなるのか。

 

 

というのがあらすじです。書いてみたんですけど、ほとんどの人が見てるんですよね、きっと。あらすじで書いてあるあたりまでは比較的わかりやすい部分です。ここから一気に難しくなります。

 

 ここからは私的解釈です。

 

 魔法って、近代以前の西洋では確か錬金術を指すんです。色々なものを組み合わせて金を生むという作業です。まあ、うまくいきませんよ。ただ、その研究のなかにおける発見が後の科学に発展する土壌になっています。金を生むためには、金を、また他の物質を研究しなければなりませんから。

 

 皮肉なことに科学が発展すれば、錬金術のやり方では金は生めないということがわかってしまいます。そうして、「魔法=錬金術」は衰退していくのです。一方で特に近代における戦争は科学によって大きく変化し、また科学を発展させたのが戦争でした。つまり、戦争が長引けば長引くほど、「魔法=錬金術」は役に立たない、ロートルな技術、知識に成り果てます。ハウルは、物語のなかで、戦争と接触すると、魔王の姿になっていきます。それはハウルたちの存在が通用しなくなっていったことを意味します。

 

 「魔王=迷信のなかのもの」ですからね。特に近代になって、宗教と科学や政治が分離してからは、宗教寄りのものは迷信として扱われるようになっています。現実の西洋では、まだまだ宗教の影響力は強いです。強いどころか、宗教をよりどころとして人々の人生は展開しているといっても過言ではないです。しかし、科学的な分析をするときだけは便宜上、そんな生活とは切り離した形で思考錯誤します。

 

 

 そして、兵隊として、軍服を着た、ソフィーが「ゴム人間」と呼んでいる、黒いドロドロした輩が多数出てきます。それをハウルは「三下の魔法使い」というような表現をしていました。多くの錬金術師がそうして科学の方へと呑み込まれていったということです。

 

 最後、ソフィーは心臓をハウルに戻します。カルシファーとの契約をご破算にしたのです。そうやって人間に戻ったのでしょう。結局ソフィーとカルシファーが友好関係になるのです。

 

 サリマンは戦争を終わらせようとしていますが、それはできないでしょう。皇太子がかかしになって行方不明で、それによって戦争が起こっている。そう、これは第一次世界大戦ですよね。第一次世界大戦オーストリアの皇太子が暗殺されて起こった戦争ですが。サリマンの魔法も、宮殿を守るだけの威力しかなくなっています。やがて、彼女も役に立たなくなってしまうのでしょう。

 

 噂では宮崎駿の創作ノートの最後には「戦争は終わらない」というようなことが書かれていたらしいです。それはこういうことなのかもしれません。

 

 

 宮崎駿はこの作品で近代化を描いているつもりですが、実は的外れでもあります。西洋の風景、キャラクターを使用しているのですが、内容はとても日本的です。日本では、本当に宗教が否定されます。特に戦後はそうです。それが多くの悲劇を生んでいると言ってもいい。

 

 我々は悩みを持ったときにどこに行けばいいのでしょうか。まさか、今近くの寺の坊さんに相談しようとは思わないでしょう。坊さんの方も、面食らってしまって、追い返すかもしれません。

 

 ねじれにねじれているから、この映画は難解なのかもしれません。西洋の設定を用いて近代化を描いているようで、日本の西洋化について描き、しかも説明が足りない。だから難しい。

 

 さて、声の出演の評判が悪いのですが、それは倍賞千恵子に集約されます。

 しかし、このソフィーの声は倍賞千恵子でなければならないのです。美女という美女に手を出し、すごいんだかなんだかわからない、すぐどこかに飛んでいってしまう。

 ハウルは寅さんなんです。だから、ソフィーはさくらじゃなきゃいけないでしょう。

 ていうか、始めの数分間だけでしたよ、違和感があったのは。

 

 

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