閏年で良かったと実感しているまさりんです。
今回は忙しい中、よく書いたよ。まったく。是非よんでくださいな。いつもながら、ぎりぎりになり、主催者様申し訳ありません。
「おしゃべりなヤツ」
おじいちゃんのアパート。木製で薄く、茶色のドアを開ける。狭い靴脱ぎのスペースがある。靴を脱いで一段上がると、キッチンになっている。靴脱ぎの左手に洗い場とコンロがある。正面に四人がけの食卓、洗い場の向こう、左手の壁には食器棚がある。元々おじいちゃん独り分の食器しか入っていないので、あまり大きくない。食卓をぐるりと回り込んで、食器棚の引き出しから、お煎餅を取り出す。カナが来て勉強を始めるまで、洋間のソファでテレビを見て休憩しよう。キッチンに背を向けるようにおかれたソファの背もたれを後ろから乗り越える。これをやるとママに怒られる。今はまだ仕事から帰ってきていない。
おばあちゃんは私が小さいころに死んだ。そうママから聞かされている。信用できないけど。おばあちゃんが死んだあと、定年後もおじいちゃんは独りで暮らしてきた。おじいちゃんが死んだあと、この木造アパートの一室は私の勉強部屋として使っている。
白いソファに座って、丸い白い木のちゃぶ台に置かれたリモコンをつかみ、テレビを付ける。
――オカエリ。オカエリ。
後ろでガサガサいっている。
夕方のニュースをザッピングしながらお煎餅をかじる。口のなかは塩味と香ばしく焼きあげられた米粉の味でいっぱいになる。テレビでは私と同じ中一の男子が殺された事件の初公判が開かれたというニュースが流れている。
「あの子が生きた時間より短いなんて」
関係者らしい女性が涙を流していた。
――シンジラレナイ。
それにしても周りの大人がみんなウソをついているような、全員が不誠実であるような感じがしてしまう。そんな人間に囲まれて生きてきた若者たちの顛末を聞かされているような気がした。
自分たちだって同じく、大人のウソに囲まれて生きているわけだし、そういうウソを見破って生きていかなきゃいけない、と考え、心が寒くなる気がした。同級生のシンイチが私をかばって暴れた日。そんなウソを壊そうとしたんだと、少しして気づいた。けれども、そのウソがなんなのかと、ふと夜寝るときに思うだけれど、それがどうしても形にならなかった。
ただ、先生がみんな生徒を第一に考えて生徒の前に立っているのではないということだけは分かった。大人になるのは悲しい。
ウソを暴き、知らしめたシンイチは苦い苦い青汁を飲んだような顔をしていた。一件以来、何かをどっかに落っことしてきたようにヒョウヒョウとした人になった。そして風のように去って行く。不思議な子。考えるとフフンと笑ってしまう。
窓の外を見ても岩肌しか見えない。ここは大地を削ったところに建てたアパート。アパートの前の車道に出ると、車道は台地の上に向けてものすごい坂だ。共用の庭には紅梅が植えてあって、花は満開になっていた。
時計を見ると十六時半。カナが来るのが先かな、ママが来るのが先かな。分からないけど先に勉強を始めよう。今日はカナはここに泊まることになっている。
リモコンの赤い電源ボタンを消して、ソファに放り出す。ソファの上で正座になって両手を雑巾がけのように絨毯を滑らせる。くすぐったくって気持ちよい柔らかさが両手の平を包む。さらに滑って腹ばいになる。そのまま隣の和室までコロコロ転がった。今絶対に誰も来ないで、と願った。敷居を越えるとき、痛気持ちいい。
――ピーピー。
絨毯、天井、畳と転がる。格子天井が目に入ってくる。
――サキ、ナニシテル。
紫檀の机の脚に腹ばいのままぶつかって止まった。そのまま見上げると灰色の鳥が首を左右にキョロキョロさせていた。
「タロウ、誰にも言うなよ」と言うと、
――タロウ、ダレニモイウナヨ。
と反復する。
「タロウはお前だよ」
――オマエダヨ、オマエダヨ。
「見ないでよ」
――ミナイデヨ。ミナイデヨ。
止まり木をピョンピョン跳ねる。
――サキ、ベンキョウ。
ママの口癖をまねした。「分かったよ」と小さく言って、ソファに投げ出したバッグを紫檀の机の所へ持ってきて、なかから勉強道具を取り出し、広げる。イヤな英語から始める。あのおばあちゃん教師を思い出し、頭を振って打ち消す。
紫檀の机に問題集を広げると、右肘をついてあごを載せる。イヤな顔が思い浮かんで、気分が悪くなってしまった。二の腕が豚の二重あごみたいにプルプルなくせに。心のなかだけでも上に立ちたくて、そうくさす。
――オチコムナ。
このオウム、妙に空気を読むところがある。そこがおじいちゃんの気に入ったところだったみたい。窓際の障子の前に木でできた止まり木がタロウの定位置だ。止まり木の下には新聞紙が敷かれている。体長は三〇センチをちょっと超えるくらいかな。全身が灰色の羽に覆われている。言葉は基本的におじいちゃんとテレビのまねだ。おじいちゃんは独り言が多かったらしく、その独り言をたまに話すものだから、たまに不思議なことを言ったりする。話すたびに首を突き出すようにする。鳥が鳴くときみたいに。やはり鳴くことの延長なのだろう。タロウはとてもおとなしい性格だ。けれども、大きな鳥だから、やたらと近づかないようにしている。たまに興奮して暴れることがあったから、私も言いつけを守るようにしている。距離をとって接すれば、とても面白い、かわいい子だ。
勉強が手に付かずぼおっとしていると、ママが帰ってきた。
「ただいま」
とため息をつきながら言って、靴を脱いだ。両手にたくさん持ったバッグを床に下ろした。
――オカエリ、オカエリ。
タロウが止まり木の上で興奮して翼を大きく拡げた。窓から来る光が遮られる。
「カナちゃんはまだなの」
う~んと気だるく返事をした。
ママはコートも脱がずに、丸いエサ皿や水皿を、止まり木の下から回収して、台所で洗った。食器棚から新しい皿を出し、新しくタロウ用のエサと水を補充してやる。エサをついばむ間は話さない。
「おじいちゃんが死んで三年になるか。やっぱりオウムは長生きだね。タロウはよく生きるよ」
ママは褒めるような呆れるような調子で言った。
おじいちゃんは三年前死んだ。別に私のパパとママ、長男夫婦と折り合いが悪かったわけではないのだけれど、死ぬ二年前から私たちの家から出て、独り暮らしを始めた。おばあちゃんが死んだ時期だ。理由は言わなかったらしい。
けれど、今こうしてこのアパートを勉強部屋代わりに使っていると、おじいちゃんの気持ちがよく分かる。気楽なのだ。もちろん、それは帰る先である私たちの家があるからの気楽さなのだけれど。
このアパート自体は昔からの友だちが持っているらしく、格安で借りられている。他の部屋も長く住む老人が多い。たぶん耳が遠いのだろう。苦情が来ることもないらしい。本当はオウムの飼育には防音設備は必須らしい。
そうやって数年間おじいちゃんはタロウと気ままに暮らした。周囲の理解があったからだ。小学校低学年だった私も、学校帰りにママとよく来た。おしゃべりをしてよく遊んだ。今はママがやるけれど、エサやり、水やりはもともと私の仕事だった。基本的に部屋のなかで放し飼いだったので、一緒におやつを食べたり、一緒にテレビを見た。夏休みにお泊まりをするときは、風呂にも一緒に入った。シャワーを軽くかけてあげた。タロウはとても喜んでいた。私もタロウもおじいちゃんにとっては孫だったのだろう。
小学校四年生のとき、おじいちゃんが死んだ。そうママから伝えられたとき、胸に何かが詰まってしまったようになって、長い時間咳き込んでしまった。夜は悲しくて次から次へと涙が滲んできた。止めようがなかった。大泣きするときのような嗚咽は出なかった。ただただ、サラサラと涙が目の端から流れ続けた。
葬儀も終わり、このアパートをどうするかということになった。問題は私が動揺しているということと、タロウのことだった。パパとママは優しい人たちだ。ここの家賃は共働きの二人にはたいした負担にならない。とりあえず、タロウを我が家に連れてくることにした。そうして様子を見ることになった。
それは私しか分からなかったのだが、明らかにタロウは落ち着きがなく、雄叫びを上げる回数が多かった。いつも使っている止まり木に落ち着くこともなく、家じゅうを移動し続けた。雄叫びは近所からのクレームの原因となった。
タロウはある行動を取ると、最も興奮した。それは家族が風呂上がりなどにバスタオルを首に掛けて出たときだ。
――ヤメロ! ヤメロ!
と叫びながら灰色の翼を拡げ騒いだ。
そのままドアノブに手をかける姿を見たときには、飛びかかってきて嘴でタオルを取り上げようとした。
それを見ていた私はタロウがどうしてそのような行動を取るのかが分からなかった。けれどパパとママは明らかに動揺していた。理由を知っていると思った私は執拗に二人に尋ねた。
「ねえ、タロウはどうしてタオルが欲しいの」
この質問に二人は参ってしまった。
タロウも二人と同じで、参ってしまったらしい。灰色の翼はどんどん色褪せていって、ついには羽が抜けるようになった。
同じく、老人が飼っているペットが死後取り残される問題が頻発しているらしく、ネットで調べるとそのようなNPOも存在するらしい。そちらに任せようと二人で話し合ったらしい。もちろん、殺処分ということも検討した。けれど、仲が良かったタロウまでいなくなったときの私のことを考えたら、それはできなかったらしい。
その後、タロウは元通りこのアパートに帰ってきた。このアパートに戻すということも、二人は心配した。ただ、私は死因について正確に知らなかったし、気づきもしなかった。二人はちょっとはじめは気味が悪かったらしい。ただ、逆におじいちゃんが死んだこの場所に仏壇を作って、きちんと祀ってあげることはおじいちゃんの成仏につながるだろうと話し合ったらしい。仏壇はタロウの定位置から見て、対角の場所にあった。
タロウはだんだん元気になった。やっぱり慣れ親しんだ環境が良いのだろう。どんどん環境を新しくしたいと思うのは人間くらいだ。渡り鳥だって決まった寄港地を廻るのだ。
小学校を卒業し、今年になって、おじいちゃんがどうやって死んだのかを知った。ガンで死んだのだ、と聞いていたけれど、正確にはガンを苦にして死んだのだということだ。パパは「ずいぶん身勝手な話だよな。かわいがったサキまで置いて行かなくてもさ」と言って、私の頭にポンと手を置いた。
「おじいちゃんは死にたくなるくらいつらかったんだよ。しかたないじゃん。それにタロウを残してくれたし」
この言葉を聞いて、二人は安心したみたい。夜独り、ベッドで泣いた。
結局おじいちゃんが残してくれたこのアパートは家族にとって助かるものになった。
エサをやったママはキッチンのテーブルで中国のお茶を飲んでいる。教員の仕事をたまに早く切り上げて、この部屋でくつろぐときがたまらなく幸せらしい。
「至福の時だわぁ」
湯飲みを両手で持ち、肘をついてママが深く長く息を吐いた。いつもの光景だ。パパは生まれも育ちもこの辺りの人で友人も多い。たまにこのアパートに集まってお酒を飲む。次の日は部屋のなかが臭くてかなわない。家族全員の休憩場所である。
私とタロウの関係は、姉弟から、一緒にいると落ち着く、パートナーのような関係になった。二人ともちょっと大人になった。
――タカラノバショハチズニカイタ。
大きく羽ばたいてて、言った。
「また、タロウが変なこと言ってる。テレビで覚えたんでしょ」
どんなテレビか想像がつかなかった。たまにこんな変なことを言う。でもテレビだろうな。おじいちゃんがゲームをやる人ならば、ゲームかもしれない。けれども、ゲーム機なんて見たことがなかった。
勉強を始めようと、紫檀の机に向かったとき、「こんにちは」とカナが入ってきた。タブーだと教えてあったのに、カナは首にバスタオルを巻いてきた。金曜日だから一緒に泊まろうということになっていたのだ。
タオルを見て、タロウが騒いだ。
――ヤメロ! ヤメロ!
止まり木から部屋を低く、滑空していって、タロウがカナに飛びかかっていった。
「何を、やめるの、ウギャー」
ほんとにバカなんだから。〔4873文字〕←Word調べ。
以上でございます。緊急で書いたので、あとで誤字などがあったら、直すかもしれませんです。今回は盛会であってほしい、まさりんでした。