今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

羨望と嫉妬

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 まさりんです。

 今関東では利根川水系取水制限が出る寸前だ。正確には寸前でした、になるのだろうか。一日中、梅雨時の雨ではない、強い降りの雨が、一日中降っていた。もちろん、山の方で降らないと意味がないのであるが、もしかすると少しは水の量がましになるのだろうか。まさしく、「慈雨」なのだろう。

 

 ところで、「羨望」と「嫉妬」の意味をそれぞれ説明できるだろうか。

 広辞苑によると(ださいね)、

羨望・・・・・・うらやましく思うこと。「ーのまと」「ーのまなざし」。

嫉妬・・・・・(1)自分よりすぐれた者をねたみそねむこと。「弟の才能に―する」「出世した友人を―する」(2)自分の愛する者の愛情が他に向くのをうらみ憎むこと。また、その感情。りんき。やきもち。」

 

 辞書って意味は分かるけど、肉体的な納得ができない。腑に落ちない。分解すると「羨望」は、「羨ましい」と「望む」だ。この「望む」は広辞苑的な意味からすると、「見る」ことだろう。では「羨ましい」は『(1)他の様子を見て自分もそのようにありたいと思う気持である。(2)人の境遇・資質などが自分よりよいのを見てねたましい気持である。』ちょっと腑に落ちる。

 一方「嫉妬」は故立川談志が「何もしない人間が、他人のことをやっかむ気持ち」というようなことを言っていた。これはものすごくわかる。

 

 もう少しわかりやすくすると、「羨望」は「羨望」と「羨ましい」の①を採用すれば、「小さい子どもが他の子どもをうらやましがって、指をくわえて見ている」感じがする。一方で嫉妬は、「(大人の)女性が両手と歯でハンカチを引っ張る様子」な気がする。もちろん、これはイメージで、「嫉妬」自体は男の嫉妬のほうが陰湿で質が悪い。

 そして、その後「羨望」した子どもは、「他の子を指さし、母親に同じようにしてくれ」と頼む。「嫉妬」した女性は、「あらゆる手を使って、嫉妬の対象の足を引っ張る」という行動にでる。そういうイメージを持つとわかりやすい。

 

 とある女性の話だ。その女性の職場には、なぜか優遇されている女性がいる。話の主人公をA、優遇されている女性をBとしよう。

 ところがBがとにかく、男性から優遇されるのであるが、それがなぜだか、理由が不明だ。お偉方の親戚とか愛人とかそういう理由があれば、「まあ仕方がない」ということになったのだろう。だが、理由が分からない。ものすごく優秀でとにかくその職場に繋いでおきたい、というほどでもない。それはなかったことになっているが、勝負のタイミングで大ミスをしていることもある。なかったことになっているのだが。

 一応、Bのことが口の端に上ると、特に男性教員は「Bさんは優秀だから」という理由で優遇されている、らしい。大ミスは気づいていないのか、なかったことになっている。

 AはBのことがとにかく許せないのだ。上司にかけあってその状態を解除したいと望んだ。

 

 どう思う?

 と私は相談を受けた。もちろんこれはたとえ話だ、という前提で。だが、どうしてもAのBに対する気持ちがどうして起こるのかが理解できなかった。

 そういう優遇されてしまうBのような人間は昔からいた。高校時代にも、中学時代にも露骨に贔屓されていた。女性も男性もいた。実際に贔屓されるだけの特別ななにか、能力や器量があるのかといえば、そんなものはないということが共通することだ。

 それに贔屓はたいてい、次の贔屓の的が見つかるまでの話であって、次が見つかれば捨てられる運命にある。そこから、贔屓されただけ、要求される能力のハードルが上がっているので、生き残るのが大変だ。

 先のBに関していえば、大失態をしているのを看過されているのが、贔屓が終了したあとは看過されなくなる。贔屓されていた分、風当たりも強くなる。権力からの寵愛というのは副作用が強い。

 そんなこんなの事情が推察されるので自分自身があまりほしいと思わなかったのが、Aの気持ちを理解できなかった理由の一つだ。

 

 そして自分自身に「羨望」という感覚はあるのだが、「嫉妬」という感覚がないというのも理由だ。他人に「嫉妬」するほど、手に入らないのに手に入れたい、という欲求が少ないのだと思う。

 だから、理屈で分析ができても、最後の最後でAの感覚がしっくりこないのである。

 

 特に年齢と重ねると嫉妬の強さが強くなる気がする。

 感情の抑えが効かなくなるからだろうか。

 

 一番最初の「羨望」と「嫉妬」の話に戻る。

 大人であっても、「羨望」という感覚はある。たとえば美しい女性を女性がうっとりしながら見つめているときに感じるのは「羨望」だ。ただ、そんな美しさは手に入りようがない。だからため息をついて諦めるのである。

 しかし、その美しさ故に自分が好きな人からの愛情を一身に受けていたら、女性の感情は「嫉妬」に変化する。憎悪の感情が加わるのである。そしてどんな手を使ってでも手にれようとするだろう。

 

 要するに「羨望」しか感じない自分は子どもなのであり、なんとしてでも手に入れたいという欲求を持つものは大人なのではないか、と思い、自分に苦笑してしまった。

 

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