まさりんです。
うちのカミさん天皇家に詳しい。いや、私が無知すぎるのかもしれない。カミさんくらいの知識はみんなあるのだろう。「オレは天皇については一家言あるんだぜ」と言いたいわけではない。話のとっかかりに過ぎない。私よりも詳しい人はたくさんいる。だから、何も考えないでいろいろ書くが、「それは違うだろう」という場合は、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたす。
それにしても、上記ふたつのリンクのように報道が右往左往していて、この段階でなにか書いてしまうというのも問題なのかもしれない。
さて、なぜカミさんが皇室に多少詳しいか。文学部卒なのだが、大学のとき? 大学院のとき? 専門が三島由紀夫だったからだ。別に右傾的傾向があるわけではない。純粋に三島由紀夫の文章が好きだった。そのおかげで、皇室について知った。その話を聞かせてくれる。ネットなのであまり書かないが、大正天皇のこと、昭和天皇のこと、今上天皇が皇太子だったときのこと、いろいろ聞いた。
天皇は法的にもそうなのかはわからないが、側室を持つことが可能なのだそうだ。しかし、昭和天皇はそれを拒否された。それだけで彼女は感動してしまう。
今朝、今上天皇が生前に退位されたいという意向を示された。私自身は詳しくないのだが、皇室典範の改正が必要なのかもしれない。是非、改正してご意志を尊重してほしいと思う。ちなみに、「~だと思う」という少々婉曲的な言い回しは昭和天皇から始まったのかもしれない、とカミさんが言っていた。もっとも、調べたのではないはずだから、正確な話では無いが。
今上天皇が皇太子のときの話。第二次世界大戦が終わったころ、皇太子はきっと自分は殺されるのだとおびえていたらしい。そういう体験から、戦争というものを忌避される傾向が強かったと聞いた。もちろん、SHIELDSじゃないんだから、だから安保法案に反対して退位を決意されたとは書かない。それくらいお優しい方だということが言いたいのである。
街中の照明がオフになっていた。ちょうど家族で市内の店に夕飯を食べに行って、帰りにモスバーガーのシェイクを飲もうということになった。店内に入ると、上のメニューが電光掲示版になっていたのだが、それが全部オフになっていた。「ああ、天皇が崩御されたから」と父親が言っていたのを憶えている。国葬というのを生まれて初めて実感した。
ブラジルでは、アイルトン・セナが事故死したときにも、国葬をした。それくらい身近なのかもしれないが、日本で国葬というのは、それ以降行われた覚えがない。そもそも国葬で表現は正しいよね、と調べてみたら、「大喪の礼」というらしい。細かく言うと、国庫から資金は出ているが、皇室主催の儀式であるので、国葬ではない。まあ、よしとしよう。
日本における国葬は、戦後は吉田茂、佐藤栄作である。他にも、幣原喜重郎などがいるが、呼び名がいろいろ変わっている。だから、やはり細かく言うと国葬ではないのだろうか。よくわからない。黒澤明・森繁久彌など、勲一等・文化勲章受章者は、天皇から文化庁を通じて祭粢料が下賜されることもある。
今朝のニュースをカミさんと見ながら話していて、「もしかするとあの騒ぎがイヤだったのかもね」という結論に至った。今上天皇はとてもお優しい。我々にはそのように思うのである。民間からやってきて、ご苦労された美智子様を守り抜いた方である。気配りをしてそのような決断をされたのかもしれない。事前に譲位を行っていれば、いきなり社会が変わる混乱はなくなるだろう。今日のツイッターだか、ブックマークのコメントでも、年号が変わると「SEが死ぬ」という内容があった。それでも、急に変更するのと、予定があって変更されるのとずいぶん違う。もちろん昭和天皇の「大喪の礼」のときのように、街中の空気が沈んだような空気にはなるのだが。よく考えれば、あれはバブルの末期(九〇年代年初からバブルは弾ける)であった。だから、子どもの目にも異様な光景である気がしたのだろう。
それにしても、皇太子の後はどうなるんだろうね。
いや、愛子様じゃないの。
今のままだと、秋篠宮の子どもなのか。
ああ、ICUの、美人の。
違う。息子ね。
男だから。
そう。そうか、皇太子って、五六歳なのか。
ふむ。
いや、今の天皇が即位したのも五六歳なんだよね。
へえ。
それも意識しているのかな。
どちらがどちらなのかはおわかりだろう。やはり皇室典範に沿えば、そうなるのだろう。どちらでもよいという話だ、と書けば、これもおしかりを受けるのだろう。雅子様は大丈夫なのだろうか。
それにしても、天皇が即位した年齢をすっと出すなんて、あんた何者なんだ。