今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

煽り耐性

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 まさりんです。
 毎年夏になれば、おんなじことを考えているのかもしれない。夏というのが素晴らしい季節だという感覚が、いつからのものなのか。たぶん近代以降だろう。
夏の代表的レジャーである、海水浴、登山などは江戸時代まではなかった。いま朝七時からBSプレミアムで田中陽希の旅のダイジェストをやっている。それは日本中の名山を 一筆書きで、しかも公共の交通機関を一切使わないで、自分の脚でのみ移動する。以前の旅で百名山を旅して、今回は二百名山を制覇するというもの。

 

 

グレートトラバース2 日本2百名山ひと筆書き

グレートトラバース2 日本2百名山ひと筆書き

 

 

 

グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き

グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き

 

 

  

 ある日ふと、日本中の山に名前があることに驚いた。たぶんだが、これらの山は近代以前に修験者がつけたものだろう。
 修験道は役の小角(えんのおづの)という人が始めた。宗教的な話を知っているだけ書きたいが、それはまた今度。ネーミングセンスが近代以前だ。山に「餓鬼山」とはつけないだろう。

 

 話が逸れた。では近代以前に日本人は夏の間どうしていたか。昼間はじっとしていたらしい。それがいまや、夏はレジャーを楽しむ時期になった。と、同時に体力を温存するのでなく、活発的に動く時期になった。イメージではそうだ。実際は亜熱帯になった日本ではなるべく日中は屋外で活動しない方がいい。

 だから、甲子園の球児をテレビで見るとき、真っ黒な若者や子どもを見るとき、全身を汗みずくにして働く大人をみるときに、夏だなあと思う。そして、(同列にして申し訳ないが)若者の度が外れた凶行の報に接するとき、夏を感じてしまう。純粋なエネルギーと屈折したエネルギー。後者も定期的に現れる。

 まったくもって褒められた事件じゃない。救いがたい凶行だ。

 病気を持っている人、障害を持っている人というのは、言い換えれば技術の進化を待ち望んでいる人々だ。その完治するかもしれない未来を摘む行為は誰にもない。たとえそれが重複障害者であってもだ。

 技術は言い換えれば、「不足を補うもの」だ。我々は飛べないから飛行機という、技術を使って空を飛ぶ。とうてい速く走れないから新幹線という技術を使う。

 特に医療では、素人である患者からすれば、突然新しい薬や、治療技術が登場する。卑近な例ではバイアグラがあるだろう。バイアグラは元々心臓病の薬を転用したものだ。
 このようなことだって、起こらないとも限らない。いま治療困難だという判断はいまの技術力を基準としているのである。将来絶対に治らないとは、誰にも、特に医療従事者でもなく研究の現場も知らない我々に、判断のしようがないはずた。
 現に再生医療が始まろうとしているいま、技術が転用されれば、知的障害だって完治とは言わずとも、緩和するかもしれない……。それこそ素人が口をはさんで無責任なことは言えないか。

 とにかく私が言いたいのは、障害者に必要なのは、「安楽死(意味違ってる気がする)」ではなくて、むしろ「延命」、新しい未来を待つ時間なのだと思う。

 容疑者なのか? が、衆議院議長(どうして衆議院議長なのかは知らない)あての手紙を読んだ。
 改行しても一文字落とさない、ネット様式で書かれた、レポート用紙の文章はメディアが分析するように猟奇的な内容で、ネットの一部の人間と親和性の高いものだった。
 ただ、人間文章を書き慣れていてもボロが出てしまうものだ。自分の思想や作戦を誇示する内容に挟まれて、自分自身についての事実を書いていた。事件直後の報道ではその部分に触れていなかった。きちんと、裏を取りたかったのだろう。
 それは、小学校の教師の資格を取り、特別支援学校の教師を目指していたことだ。おそらく、その挫折が凶行の直接的な原因だろう。私はそう推察する。ネットの思想を本気で信じているがどうかは分からない。が、凶行に及ぶための理由として、意識的にか、無意識にか、ネットの思想を利用したに過ぎないように思える。薬物の影響は分からないが案外冷静に自分の印象をコントロールしている気すらする。

 ネットで誹謗中傷され耐えきれないものを「煽り耐性がない」というらしい。本当は人にそんな耐性はない。というより、そんな耐性の存在を許せば誹謗中傷を受け入れることになる。世の中には、中傷をした人間より、された人間が悪いとみなす風潮すらある。

 複雑になるので、いじめの真相を暴くような話は除こう。(ちなみにいじめという言葉は東アジアだと、他国でもそのまま通じるらしい)本当の意味で煽り耐性がない人間とは、彼のように本当にネットの思想に染まってしまう人間なのだと思う。意外と書き手はジョークで、遊びで書いてる人間もいるのだと思うけど、真に受ける人間もいるのである。

 

 とここまで、寝る前にスマホで一気に下書きをした文章だ。

 夕方見たら、このような記事が話題になっていた。

 

ketudan.hatenablog.com

 

 

【やまもといちろう氏 特別寄稿】 相模原の障害者19人刺殺は思想犯と言えるのか|みんなの介護ニュース

まあ、普段のやまもといちろうをよく知らんのだけど、身近に介護の存在があって、「苦しんでいるのだぞ。解放せよ」ということが裏に流れているようにしか読めなかった。なくて書いているならちょっとやばいよね。

2016/07/29 16:50

  やまもといちろうも案外、煽り耐性がなかったりして。

 むうん。確かに私の書いた文章には障害者をもたれたご家族という視点が抜けている。が、やはり障害を持っている者と気持ちは近いと信じたい。まったく同一とは言わないけれども。苦しみがあるのはよく分かるが、それだって殺して良いとはならない。

 亡くなられた方のご冥福を祈り、また重体出苦しんでおられる方の一刻も早い回復を祈りつつ。

 

 

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