まさりんです。
大型台風が近づいていますね。太平洋沖でウロウロしてから向かっています。予報進路もおかしなことになっています。ただ、これが予報通りになれば、水不足は解消されるかもしれませんね。そのまえに被害がなければいいのですが。通常台風は、目の東側で大きな被害をが出ます。台風の目が過ぎてしまえば、もう風も雨も終わり、台風があったことを忘れられるくらいの青空が広がるというイメージを持っているでしょう。しかし、今回は違うようです。気をつけてください。
このところ、カクヨムでも文章を書こうと思いつつ、頓挫している。書きたいなと考えているのは、二つのエッセイである。これがまったく進まない。もう書くことも決まっているのに。一つは禁煙の話。もう一つは集団生活について。
禁煙はかなり前に実際に行ったことをもとに書こうと思っていた。そう思って、割と起こったことを細かくメモしておいた。予定では、数ヶ月経って書いてしまうはずだった。ところが、これが筆が進まない。
今、短編小説の集いの夏の宿題の小説を書いている。こちらなど、構成などを考えないでフリーハンドで書いているのだが、こちらはいきなりで書いても、なんとかなる。というより、書き始められる。書きたいモチーフがあればなんとかなるのである。
ところが、「エッセイを書こう」と思った段階で、行動が止まる。禁煙の作品は始めたのが二千九年だ。今年の九月三日で、七周年だ。七年間も放置してきた。メモ書きは詳細であったはずだが、今見返すと思い出すのに一苦労というものもある。
どうしてなのか、と常々考えていた。
以前、文章書きにはエッセイが得意な人と、小説をが得意な人と、はっきり分かれるのではないか、と書いたことがある。あの話に接続するのである。
私からすると、エッセイが得意な人というのは、「自分のことをつまびらかにすることを躊躇しない人」に見える。小説というのはある意味、たとえ話をつなぐような作業だ。この自分のことを書くというのがどうも苦手だ。周囲のことを書くのも苦手だ。最近になって、ちょこちょこ我が家の妻が登場するようになったが、本当は気恥ずかしい。小説はフィクションなので、友人の名前を使っていたりするのだが、フィクションだからなせる技で、エッセイで友人の話題を中心に据えて書いたこともほぼない。ほぼ、というのはもしかすると記憶違いかもしれないからだ。
そう考えると、小説で挫折したものはだいたい、完全に実体験を使用したものだ。独りでしきりに感心してしまった。
ブログで読んでいるとエッセイが上手いのは、男より女性だ。女性は自分の話を披瀝したり噂話がとても好きで上手だ。それも感じていたが、ちょっと理由がわかった。これから勉強していこう。いや工夫していこう。
昨日、スタバでクールミントのグランデを飲んでいたら、突如分かった。きっとクールだったからだろう。ただ、店の中は人いきれでクールじゃなかった。