今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

こちら葛飾区亀有公園前派出所、終了!!

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  まさりんです。

  なんだか二〇一六年は本当にひどい一年になりつつあります。

こち亀:40年の長寿連載に幕 - MANTANWEB(まんたんウェブ)

唯一、読み続けてきた漫画が終わった。もう大人だろうが子供だろうが、誰でも読める大衆向けの漫画は消滅したように思う。

2016/09/03 16:37

   こち亀は十数年前だろうか、文庫版になった。文庫版を買う人というのが結構いたのだそうだ。確か全てが文庫になっているわけではなくて、その当時のリアルタイムから遡る形で巻数が増えていったと思う。

   特に番外編の四冊は個人的にいまだに読んでいる文庫である。

 

  伊集院光だったと思う。こち亀は若いときにいったん卒業して、大人になってカンバックするものだと言われる。私の場合は、卒業しなかった。そのまま読み続けた。たぶん気を使わないで済む漫画だったからだと思う。寄生獣も好きだったが重すぎ。横山光輝三国志よりも前に、吉川英治三国志を読んでしまったので、三国志が読みたくなったら、吉川英治の小説を読む。ジャンプの作品の質的黄金期を支えた漫画、キン肉マンやらキャプテン翼ドクタースランプドラゴンボールは終わってしまった。ワンピースは流行った頃には大学生になっていて、入れず終い。個人的には小説を読むことにシフトしていたので、漫画は読まなくなっていた。

  そのなかでこち亀だけは読んでいた。辛い人生のちょっとした休憩所だった。ロックとともに。ロックはダメ人間のものなので、慰みになるのである。ただ、購読手段がジャンプではなく、コミックスになっていた。世の中もそういう流れになっていたと思う。

  だから、80年代も前半と後半で絵が違い、九十年代も半ば過ぎになり、コギャル文化が全盛になった頃には突如絵柄がかわったときも、どぎまぎしながらついていったのを覚えている。結局、両さんと大原部長自体の絵柄がそれほど大きく変化しないので、それほど違和感がなかった。丸出ダメ太郎とか好きだった。サブキャラで有名なのは特殊刑事だが、チャーリー小林とか好きだった。寺井洋一と法条正義は名前が変わったまま、そのまま連載終了か。丸井ヤング館と凄苦残念。寺井はたまに両さんのことを致命的にひどい言いようをしていた。守銭奴的なこと。もっとも守銭奴なのだが。人の道を外れそうになると、必ず天罰が下る。

  終わりのコマシリーズもよかった。機関銃などの武器を持って派出所に怒鳴り込んでくる大原部長。戦車に乗ってやってくる大原部長。大原部長のうしろすがたで「彼はちょっと遠いところへ出張に行っている」という姿の面白さ。

  両さんは眉毛から書く。ここから書くとバランスが安定するのだと聞いたことがある。思い出すだけでものすごい時間、語り合えてしまう作品である。

  そう。小説版も面白かった。京極とか書いていてね。

 

こちら葛飾区亀有公園前派出所 小説 (集英社文庫)

こちら葛飾区亀有公園前派出所 小説 (集英社文庫)

 

 

 

  個人的には震災の 頃からちょっと作風に変化が出ていたと思う。身体の不調ではない。疲れというか、老いというか。最近はそれに加え、やたらとコミックスが厚くなっていた。収録内容も一年くらい前にジャンプに掲載されたものだったりした。なぜ遅れたのかはわからないけれども、終了に向けて、速度を調整するために厚くなっていたのかもしれない。

  ただ、その疲れというか老いのようなものはかなり治ってきていたように思うんだけどなあ。

  こうなったら、二〇〇巻は二〇〇%に増量ということで、書き下ろしで一冊分書いて欲しい。無理な注文だが。それくらい何話か続く物語が読みたい。昔は大原部長と旅に出るシリーズとかやっていたじゃないか。まあ、無理か。

  デヴィッド・ボウイやプリンス、水木しげるの死、こち亀終了など、今年の年末は個人的にしみじみしてしまいそうだ。ミレニアムとか新世紀が始まった時くらいの感慨がありそう、そんな年末になりそうだ。

  この気持ちを共感できそうな人はどれくらいいるのだろうか。

  そうそう、結婚どうするんだろう。麗子がいいよね。やっぱり。

  と思ったら、ジャンプとコミックスの同日発売なんだね。

  冒頭でも書いたが、映画でも、小説でも、大衆的な文化がまず隆盛する。そのあと、衰退期というか安定期に入るのだが、必ず「小難しい」と大衆が感じてしまうものが、マニアの間ではやる。テレビドラマでもそうだ。ドラマの場合、韓国ドラマが小難しくなる前の単純明快な作風を持ってきた。

  こち亀はそういう大衆的な漫画を最後まで牽引してきたと言ってもいい。同じく長期連載だが、ゴルゴは大衆的とは言えないだろう。単純明快そうだが。漫画界にとって、こち亀は終了とは明確な時代の変化を象徴する出来事になる。これ以降、こち亀のような漫画を描くことは書き手に取っても、読み手に取ってもカッコ悪いことになる。こち亀が最後である。

  こうやって、ある分野はパワーを失って行く。ゴジラ庵野秀明によって、「シン・ゴジラ」として息を吹き返した。もとのゴジラの持っている骨太のメッセージを取り戻した。これくらいの天才が現れないと、ふたたび漫画は復活しないのではないか、というくらいのダメージをこち亀終了は与えたかもしれないのである。もちろん、杞憂であって欲しいが。

 

 

 

 

 

 

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