今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

第二十四回「短編小説の集い」参加作品「収穫」振り返り

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  ユーチューバーでもある私は、日々動画をチェックしている。ユーチューバーとはユーチューブをこよなく愛用している者を指す。「ユーチューバー」のスペルがさっと出てこないくらいの私のなかでは少なくともそうである。数本の動画をアップしている私は間違いなくユーチューバーであるが、日々アップされるスターたちの動画を視聴するだけのあなた、あなたも立派なユーチューバーだ!!


  どうしてこんななんだかわからないことをクドクド書いているのかというと、これから文章を書いて行く上でのアイドリングである。ここのところ、ブログの更新頻度が落ちている。どうもブログに向かう腰が重い。頻繁に更新しなくとも、儲けがあるアルファブロガーとは違う。本当はもう少し更新しなければならないのだが。助走をつけなければジャンプする気になれないのである。付き合わされる方はいい迷惑だろう。申しわけない。


  さて、ユーチューバーとして日々動画をチェックしていて、その動画制作能力に感心したり、動画制作意欲に感嘆していると、一つのジャンルに興味を持っていることに気づいた。それは「火付け」である。まことに物騒な話である。始めは「西岡流火付け術」というような名称のものを見ることからだ。「西岡流火付け術」では、まず適当な長さに丸めた新聞紙をイゲタ(井)型に組み上げる。その“井”を取り囲むように木炭の壁を築く。余分に作っておいた新聞紙の薪に火を付け、“井”の中央に入れ、“井”の上に炭の蓋をするというものだ。チムニー効果ですみにひがつくというやり方である。チムニー効果とは、煙突効果とも言うが、やhり煙突掃除の歌と関係があるのかな、と思いながら鮮やかに火が付いてゆくのを見ていた。繰り返し。繰り返し。


  やがて利巧なユーチューブは、「コイツ、ブッシュクラフトとか興味あるんじゃね?」と若者アクセントで判断する運びとなり、おすすめ動画としてアピールしてきた。ブッシュクラフトでは「西岡流火付け術」とは違い、もう少し火をつけるのに手こずる。キャンプで薪に火を付けるのを想像してほしい。


  詳細なことは省くが、それがやがて、ユーチューブ御大による「コイツ、はんてぃんぐにも興味あるんじゃね」というお誘いにつながり、狩猟に関する動画も見るようになっていった。まんまとはめられたのだ。

  鹿の解体、イノシシの解体など、多くはないが、そういう動画がアップされている。解体する者はみな少しだけ口調が興奮していた。それだけ力が要るものだからだろうと思っていた。だがもしかすると生命に触れているという状況に興奮しているのかもしれない。

  なかには狩猟だけで食っている試みをしている人間の動画もあった。また爽やかな音楽に乗せて動物を解体するというなんだかよくわからない動画だ。それは、怒り新党で有吉やマツコデラックスが暴言とも取れる意見を言うときの、John Lennonの「starting over」、Stevie Wonder の「i just called to say i love you」のようにある種のごまかしである。効いているとは思えなかったが。今回の作品ではそれらの動画の雰囲気をミックスしたものだ。特に銃を使わないで行う罠猟には考えさせられるものがあった。究極のミニマリストである。。食事を得るにも命がけだった。雄鹿や猪との格闘は文字通り命懸けだ。雌鹿でも野生の動物をなめると痛い目にあう。

  だが様々な狩猟を見ていて、どうしても銃を使うものはなんだかイヤだった。邪道な感じだ。無論、それが一番の安全な狩猟法だというのは理解しているのだが。どこかで、エンタメとしての絵の派手さを求めていたのかもしれない。実際には、丸太を片手に動物と戦うと方が絵は派手である。それに命を奪う行為への安直さを排したいという倫理観を求めていたのかもしれない。どちらにせよ、視聴者の身勝手な理屈である。

  それにしてもテレビはネットに負けている部分もあるが、それも当然だと感じる。テレビ番組でヒロミとジャニーズの滝沢くんが猫ひろしのマンションをリフォームするという趣味な番組をやっていた。ユーチューブなら、これらの過程を丸々乗せたりする。(スター・ユーチューバーはテレビに寄せて編集しすぎ)だが、テレビではDIYに興味のある人だけが見るわけでないので、途中の過程をすっとばす。個人的には滝沢くんが四苦八苦しながら、りんご箱を宝箱のおもちゃ箱に作り変える作業を延々と流して欲しかった。それを見ていたら、一発でファンになっていただろう。四苦八苦していないなら別だが。それはあるまい。

  これらの活動から、いつかどこかで小説に見たものを織り込みたいという欲求が生まれた。ただ、課題である「実」が出るまでは、今回で書くとは思わなかった 。
「実」という課題をひねって使っても良かったのだが、どこかでストレートに行きたいと感じた。それにかこつけて、どこかに出かけたかった。どこか果樹園に行こうと思ったのだ。あまり出かけていなかったので。だが、実は我が千葉県は秋の収穫は九月が中心なのである。栗だけがまだギリギリ収穫期であり、栗林はあまり見たことがない。ということで栗林を使うことに決めた。

  とはいえ、調べると近隣に栗林はない。しかも正確な土地勘はないが、公共交通網がある場所でもない。細かく動くとすると車かバイクが必要だ。いや私には最近購入したクロスバイク「GIANT ESCAPE R3」があるではないか。名前を出すほどすごいクロスバイクではないが。ちょっと遠いが、遠いところまで行きたかったところだ。

  一回目(二回目もあるのかよ)は、Googleのマップアプリを使って、自転車で進みながら検索をしていった。一応出る前に目星をつけていたが。しかし、Googleのルート検索は「車」「電車」「歩き」という検索方法はあるのだが、「自転車」は当然ない。車で検索をした。直線コースで検索してくれたのだが、恐ろしく起伏のあるコースで、目的地に行くまでにへばってしまった。

  二回目はもう少し計画的にした。起伏のあるコースをゆくのは避け、大きな川沿いのサイクリングコースを使って移動することにした。ほとんど長距離を走ったことはないが、往復で五十キロ以上になってしまった。ただでさえ、ママチャリに比べればクロスバイクはたいそう前傾姿勢であり、乗りこなすのにコツが要る。それはのちに調べてわかることだ。「たかが自転車」とナメ、この日のせいで全身筋肉痛に三〜四日苦しみ、謎の体重増加も起こった。俗説では筋肉は筋肉痛になると、修復するために大量の水を含みたがるから、体重が増加するのだそうだ。ダイエットと筋トレのあたりのブログはヤバいね。俗説がワンサカある。

  そこは小さな栗林だった。ただ、谷のような地形は作品のなかと同じだ。向こうの岡とこちらの岡のコントラストが素晴らしかった。この時点で案山子を使おう、というのは頭に浮かんでいた。向こう側の新興住宅地、こちら側の零細農家、時代の変化、それらは記憶に残って要る風景を実際には原稿用紙の上でつないで出来上がった物語である。あまりにも好き勝手に書いたので、土地の直接の地名は明記しない。ただ、新興住宅地のなかには妙に新しく、高く土台を作って建てた神社も、少し離れた場所に浅間神社も存在する。

  そうそう。案山子が唐突に出てきた。実は知恵の神で、田の神である案山子は冬は山に行き、山の神にあるという言い伝えは存在する。山の神は醜いそうだ。浅間神社は木花咲耶姫を祀っている。この姫は絶世の美女だ。この姫の姉は磐長姫といって、醜女だ。父の大山積神は瓊瓊杵尊に二人の娘を差し出す。だが、瓊瓊杵尊は磐長姫を送り返す。おかげで瓊瓊杵尊と木花咲耶姫の子孫である我々人間は短命になる。
  さて山の神は醜いということで、磐長姫をそれにあてることもある。そして浅間神社のなかには磐長姫を祀るところもある。実際、現地で初めて浅間神社が近くに存在すると知った。そのときに、「しめた」と内心拍手したい気分になった。

  整理すると、案山子=山の神は=磐長姫で、地震が祭られる浅間神社からワープして山へ帰るという流れができると思ったのだ。逆にいうと、案山子である久延毘古を祀る神社が非常に少ない。本当はそこに行きたかった。栗林から山へどう繋ぐかが課題であった。

  だが、実際には浅間神社にゆくと、祭神は木花咲耶姫であった。作中だけ変更するのも手であるが、さすがに恐れ多い気がして止した。ただ、止したおかげで、醜いと姉(磐長姫=案山子)を叱る、美人の妹という妙な構図ができあがってしまった。「できあがってしまった」というのは今振り返ってそうなっていることに気づいた、ということだ。意図して仕組んでいない。

  ここで終わりとしても良かった。しかし、ここで山の神となった案山子を全く描かないということを奇異に感じた。そこでこの文章の一番最初で書いた通り、狩猟の話を入れることにした。

  はてさて、十数枚の原稿を書くだけのことに苦労することよ。

  最後に断っておくが、話の構造上、「醜女=冷酷」というふうに読めてしまうかもしれないが、作者自身はそうは思っていない。誤解なきよう。そうなってしまったのだ。
  あとnaonao さんの感想だったと思うが、「神が人間ぽい」と指摘されていたが、それは日本の神のように、絶対神でない宗教観がそうさせるのだろうと思う。古事記などをよんでいて、その延長の神はどうしてもああいう形になるのである。

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