今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

第二十五回 短編小説の集い参加作品「入院中の出来事」

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 お久しぶりのまさりんです。

 恒例の第二五回 短編小説の集いに参加します。

 今月はちょっといっぱい小説を書いたので疲れています。ひと月に五作品は書き杉ぞなもし。では主催者様よろしくお願いします。

novelcluster.hatenablog.jp

 

 

『入院中の出来事』

 病室は七階にあった。ここで患者たちは規則正しく生活を送る。

 朝、看護師さんによる体調チェック、朝食の時間が慌ただしく始まる。消化器以外の病気の人たちにとっては、食事くらいしか楽しみがない。なかに多くの食事のトレーが並ぶ、ステンレス製の配膳車がその銀色の車体を見せると、患者によっては病室の入り口に出て、配られるのを待っている。

私の病気は消化器のもので、入院期間のたいていを絶食で過ごす。絶食のまま一年以上過ごしたという記録をネットで読んだことがある。ここに入院している患者はそこまで長期間の絶食ではないだろうが、ひと月以下という患者もいない。同じ病気の人間が同じ病室にいればいいのだが、この病室は内科にかかっている様々な病気の患者だ。私以外はみな食事を食べる。その臭いは入院当初地獄の苦しみを与えた。だが、しばらくすれば慣れた。

食事が終わり、腹がこなれてきた頃――私の腹はこなれることがない――、看護師さんたちがベッドの清掃にやってくる。ベッドのシーツと枕カバーにコロコロをかけ、乱れている布団などを直す。もしかすると清掃だけでなく、ベッドの状態を見て、患者の体調を見ているのかもしれない。いつも男の話をしながら清掃しているので、体調を見ているのであれば、かなり見落としているだろう。

その時間患者たちは廊下に出て掃除が終わるのを待っている。私の病室の患者と隣の病室の患者は仲が良く、ここでみなで談笑する。ただし、退院後にまた会おうという感じではない。色々な生活環境にある人が集まるので、深入りして話すことはない。もちろん、自分のことを語りたければ、それを拒否する理由はない。置いてある車椅子に座ったり、壁にもたれながら話していた。深入りしない分、我々の話題も自然と病院内の話になる。

「――さん、小杉さんのまねしちゃだめよ」

と言いながら、私の病室の清掃を終えた看護師さんたちが隣の部屋へと移っていった。言われても何のことを言っているのかわからなかった私は、「はあ」という生返事しかできなかった。

 小杉さんはカメラマンをしている。私と同じ病気で入院していた。二人とも絶食をしていて、食事は鎖骨の下にある太い静脈に刺された点滴から取っている。B4くらいの大きさの点滴袋の下がった点滴台を常に転がしている。大きな点滴なので、点滴台の台座はごついものにしていた。

私は同じく壁にもたれていた小杉さんの顔を見た。小杉さんは何ともいえないという顔をしていた。

 

小杉さんはこちらの都合も考えずに、私を引き連れて様々なところに行きたがったり、長時間話し込むところがあった。まだスマホなどが登場する前の話で、インターネットも気軽にやれなかった。テレビも一日中見ていられるほどおもしろいものでもない。だいたい有料だ。小杉さんは読書のように独りで手軽にやる趣味もなさそうだったので、暇だったのだろう。私はいくらでも本が読めた。入院時には何冊も本を読み、飽きるとCDで音楽を聴いた。それで日がな過ごせた。

ベッドで本を読んでいると、小杉さんはいきなりやってきて、私を連れ出すことがあった。少しうっとうしかったが、別に断る理由もなかったので、一緒に歩き回っていた。ナースステーションの前を通ると、小杉さんは必ず看護師さんに話しかけた。そんなとき、看護師さんは心底うっとうしそうな顔をした。それでもめげずに話しかけていた。たまに看護師さんのプライベートな情報を教えてくれた。家族構成や彼氏や夫がいるかどうか、どこに住んでいるのか、シフトがどうなっているのか、そんなことを教えてくれた。どうでもよかったが。

ある日、レントゲンを撮るように指示が出て、一階のレントゲン室へ行った。そのあと、エレベーターで七階に昇り、病室に戻ろうとすると、ナースステーションの前で看護師さんに話しかけられた。

「小杉さんにつきあうのほどほどにしなさいよ」

私より少し年上の看護師さんが言った。この看護師さんを退院後、見かけたことがある。真っ赤な車に乗るところを見たが、普段着は派手で化粧も濃かった。

「前から聞こうと思っていたんですけど、どうしてですか」

「どうしてですかって・・・・・・、気づかないの」

あまり直接的な表現をさけ、婉曲的に看護師さんは理由を語った。要するに、小杉さんは様々な看護師さんに声をかけ、カマをかけていると取られているようだった。

「だって、小杉さん結婚してるでしょう」

「そうだけど、そういうの関係ないでしょ」

意識しているのはあなたでしょう、と言いそうになって止めた。小杉さんは、結構いい男だ。ただ、病気のせいでいつも白い顔をしている。それがまたいい男ぶりに拍車をかける。

「――さんが同じようにならないか、心配なのよ」

軽く苦笑いしてしまった。「大丈夫ですよ」と言うと、「気をつけてよ」と念を押された。よく入院するようになってから、自分が他人にどのように見えているのか、皆目見当がつかなくなってしまった。入院中は、近しい人間からも、「なんかおかしい」と言われる。私はそんなに染まりやすい人間に見えるのだろうか。それとも、本当は小杉さんと同じ資質があって、それが開花しやしないかと思われているのだろうか。

どちらにせよ、小杉さんのことをみなが誤解しているのは確かだった。

 

小杉さんは他人との距離を狭く取る癖があった。それは他人の心の内に土足で入り込んでくるのではなく、「お互いに胸襟を開こうぜ」というノリがあるということだった。私よりも十歳以上年齢が高い。今はカメラマンをしていて、広告に載せる写真などを撮っていた。それ以前には一時期、寄宿舎生活をしていたことがある。そう聞いて、合点がいった。

その距離の近さとは、体育会系の部活の先輩・後輩のようなものだった。だから、男としてはそれほど不快でもない。もちろん、体調が万全ならば。患者はみな、少し痛みなどがなくなり、血液検査の数値に異常がなくなると、自分は完全に復調したと思い込む。退院したら、何かすごいことをしてやろうと思う。短期入院などではそうだろうが、長期の入院になれば、退院直後は、外界に身体をならすことくらいしかできない。入院中は自分がどれだけ保護されているかが、退院すると身にしみてわかる。

だから、少し無理をすれば途端に疲れる。長時間話し込むのももちろんだが、病院内を歩き回るだけでも疲労を感じる。小杉さんとのつきあいも骨が折れる。

ある日の夕方、夕日に照らされた筑波山を眺めながら小杉さんと二人で話していた。

「そろそろカメラマン止めようと思うんだよね」

小杉さんは広告用の写真を撮ることが本意なわけではない。もっと色々な土地へ行って、様々な人々の生活を撮りたいと思っていた。以前、撮りだめてきた写真が収められたアルバムを見せてもらった。沖縄で撮った写真とロシアで撮った写真であった。沖縄の風景は極彩色であり、ロシアはモノクロームを基調としていた。見事な風景のなかに人々の生活があった。沖縄の写真では三線が、ロシアの写真ではなぜかデヴィッド・ボウイのアルバム「LOW」が流れた。見ていると頭のなかでそれぞれが想起する音楽が流れるのである。

なかでも覚えているのが、沖縄の写真にあった一枚だ。それは畳に座った中年女性のお尻のアップだった。若い娘のものではなく、重力に負け、つきたてのお餅がべちゃっと広がっているようなお尻だった。それがなんともいえないのである。「これいいですね」と私が言うと、「お、わかる? そうだろ」と言って小杉さんは嬉しそうに笑った。

 

「もったいない」

「実家がさ、商店やってるんだけど、そっちを手伝うよ」

「どうしてです。良い写真撮れるのに」

「いやわかるだろ。体力に自信ないよ。プロでやってくには、ちょこちょこ入院していたらさ。無責任だと思われるよ」

「結局世間様には、体調不良なんて言い訳にならないですもんね」

私たちの病気の再発率は高かった。だから、こういう覚悟もしなければならない。医師には「社会的な活動を制限する必要はない」と説明を受ける。「会社など周囲の協力が得られれば」という但し書き付きであるが。

「家族にもさ、あまり迷惑かけられないしね」

そういって、小杉さんはご家族のことを話し始めた。年頃の息子さんがいて大学入試が迫っていること、実家の商店は奥さんが手伝っていること、不景気のあおりを喰らって、経営が大変だということ。いつもの小杉さんらしくない、訥々とした口調で話した。

そのちょっと寂しそうな横顔を見ていて、この人はただ孤独が嫌いなだけかもしれないと思った。我々絶食している患者は、あまり性欲が起きない。正確に表現すれば、正常な性欲は起きない。なんだかわからない異常な性欲は随時起こるのであるが。だから、あまり恋をするという感じにもならない。それはそうだ。暇だとはいえ、カロリーは生きていく上で最低限の、机上の数値に抑えられている。だから、性欲を発現するような余分なカロリーがないのである。退院後しばらくは性行為をしても、精子があまり出ない。もっとも、これは入院のストレスのせいかもしれない。「保護されている」ということは、「二四時間監視されている」ともいえるのだから。ただ正常な性欲がないのと逆に、いわゆる「疲れマラ」のような異常にハイな状態にはなることもある。体力がないぶん、あまり持続しないが。

 だから、小杉さんが看護師さんたちに声をかけるのも、異常な状態か、人寂しいかどちらなのだと思う。話を聞いていて、後者である気がした。あの看護師さんに説明してもわからないと思うが。

 私はもう少し熱心に小杉さんにつきあってあげようと思った。

 

 それから、小杉さんは妙ちきりんなことを始めた。

 看護師さんたちの写真を撮り始めたのだ。看護師さんは一日に二回くらい点滴の大きな袋を交換に来る。そのタイミングを狙って、小杉さんは写真を撮った。小杉さんはベッドに寝ている。ベッドの足下にある点滴袋を看護師さんは交換する。それを下からのアングルで狙って撮影した。それを現像してもらって、ベッドの脇の壁に貼った模造紙に、一枚一枚貼っていくのである。

 「どうしてこのアングルで撮るんですか」

 と私は質問してみた。

 「このアングルから見る女性というのは、赤ちゃんから見た母親の視点だろ。なんとなく癒やされるじゃない」

 看護師さんたちは一応撮影に応じる。少し表情が引きつっているけれども、拒否している感じはない。が、そのあとナースステーションでクソミソに言うらしい。

 すぐに模造紙は看護師さんの写真でいっぱいになった。そのなかの一枚には、なぜかそのアングルで撮られた私が入っていた。写真を見ていて、恋愛とか性欲とか関係なく、看護師さんが好きなのは間違いないな、と思った。好きなものを写真に収めたくなったのだろう。

 小杉さんはそんな日々を過ごして、私より前に退院していった。

 ちょっと不安そうであった。

 退院するときに、カメラを一台もらった。

 「こんな高いものいいですよ」

 と言うと、

 「たくさん持ってるんだよ。オレももう写真やめるし使ってよ。携帯とか普通のデジカメより、良い写真撮れるから」

 と言って、押しやるように私にくれた。

 

 小杉さんが去った次の日。

また朝の清掃の時間だ。

 部屋の前でいつものように談笑していると、例の看護師さんが「――さん、小杉さんみたいになっちゃだめよ」と言った。

 その顔を小杉さんからもらったカメラで撮った。

 看護師さんは「あちゃー」という顔をした。

――了ーー(四六六一文字)←Word調べ

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