今回のテーマは兄弟、家族。兄弟が自立したのかを振り返っていくお話。そらを効果的に表現するためにタイムリープをつかった。。時間をドンドン遡っていく感覚が出ればいいとおもった。
ところが、である。
例によって書き上がった文章は長くなった。五千字のところ、六千字超になった。それを削る過程で、前半の母親との絡みをけずりすぎたらしい。ただ、流れが自分のなかにあって、母親との絡みがないとその次の弟との絡みにスッと入っていけなかった。だから、長くなったことに対する後悔はない。
しかし、小説の文字数の調整は、他の文章と違って、言葉を置き換えまくると、書きたかったニュアンスが変わってしまう。だから、文字数を削るときは場面ごとごっそりいくか、書き直すしかない。あいにく、書きなおすだけの時間はなかったので、ごっそりと場面を落とした。それによって、前半の情報が少なくなってしまった。そのせいで難しい小説になったと言われた。いったのはカミさんで、カミさんは必ず下読みをしてもらうのである。
病院は行った経験のある病院を使用した。
というわけで、病院の周辺をサイクリングがてら見に行った。
もう木の実が落ちていたのはびっくりした。
ただ、他の木の葉や実が青々していたので、台風の影響で落ちてしまったものかもしれない。周りは整地されていて、本当に緑のなかにいるというより、公園のなかにいるように錯覚する。
ただ、足下を見ながら歩くというのがなかったから、こういうのを見つけて嬉しくなってしまって、本文中に入れた。
帰りに千葉寺に行った。
千葉は意外と仏教と縁がつよいのか。
成田山があるから真言宗が多いのかと思えば、日蓮は千葉県南部の誕生寺の出身。
千葉寺とは名前から推測できると思うが、千葉市という豪族と縁が強い寺だ。もともと、行基が十一面観音像を設置したところからスタートする。千葉市の居城である亥鼻城が近かったから結びつきが強くなる。
千葉県の外房地方から車で千葉市に入ってくるとき、高速を使わなければ、大網街道という道を通る。大網街道沿いに千葉寺はある。ところが、というより当然、車で参拝する予定で作られていないお寺。車で通るときにはあまり寄ろうとは思えなかった。
自転車で今回通りかかって、寄りやすいから、寄ってみた。
こういうところは、墓石や祈念碑が建っていて、それを見るのがちょっと楽しい。知らない先生を顕彰した祈念碑などがあるのだが、私のご先祖様かな、と思われる人がまつられていて、そんな偉大な人が出る一族ではないのだがなと思った。
帰りは海沿いを通って帰った。
海沿いにはサイクリング・ロードがあるらしい。見晴らしがよく、しかも整地されていると聞いて、それを利用した。遠くに行く場合、このようなサイクリング・ロードを活用すると走りやすい。
ということで、サイクリングをかねて取材したときのことを書いた。
iPhoneはやはり写真が綺麗でよい。