十分日記らしく、今日聞いた話を書き留めておこう。
知り合いの話。陰謀論ではない。
その人の次男は小学生高学年の頃、野球をやっていた。地元のリトルリーグに所属していた。
実に才能がある選手で、コーチたち、つまり周囲の大人たちが育てようと躍起になってしまうほどだった。
試合があって、普通に勝っても、他の選手は褒められても、その次男だけは「てめえ、もっとできるだろう」と怒られる。休んでも同じ。他の選手は慮って優しい言葉がかかるが、次男だけは怒られる。そんなチームだったからか、次男五年の時に、チームの六年生はコーチ陣と揉め、みな辞めてしまう。
強いチームでは実はこういう話はよくある。それだけ、大人たちも本気だということだ。
チームの命運は次男の双肩にかかった。
しかしその結果、六年になる頃には肘を壊してしまう。選手生命はこれで絶たれる。
副産物というか、次男は精神的には非常に成長してしまう。
特に対人関係における洞察力というか、大人の考えていることを見抜くようになる。
自分のことを適当にあしらおうとすると、それを見抜いてしまうような子になった。そして、本気で自分と相対しないで子供扱いすると、逆に大人の方と本気で向き合おうとしない子になった。中学生の話だ。
中学生になり、精神的に疲れると、効果的に休暇を取り、心身をリフレッシュするなど、大人でもできないようなことをしていたらしい。しかも、合計で年間で数日だったらしい。
学校なんてごまかしごまかし行くもんだ、という主義を私は持っている。だから、このクレバーさは非常に好感が持てる。
その次男を知り合いは「怖い」と表現した。
なにか見透かされているような、バカにされているような、そんな気分になるのだろう。
私からすると、そんな中学生は周囲にたくさんいた。割とそれが普通だった。
が、世間ではそうでもないのだろう。
実は今までの話は、今日聞いた話ではなく、驚くように似た話を今日聞いたのだ。
そういう子供に対しては、きちんと大人として扱い、腹を割ってしまえばいい。
それがどうも難しいらしいのだが。
一般的に言えば、こういう洞察力は子供の頃の方が鋭敏である。
大人の欺瞞などを見抜く。
だから、口八丁で誤魔化す教師なんて信用されない。というか、教師一般信用されない。
今は、大人と子供が仲が良い。反抗期も強烈なのはないようだ。
それがいいことなのかどうかはわからない。