今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

童貞と文明の衝突--十分日記106

スポンサーリンク

年末の精神的なプレッシャーを伴う作業は一段落した。物理的にはここからが年末年始の準備なので、大変なのではあるが、小説を書いたり年賀状書いたり、と割と楽しんだり淡々とした作業が続くので精神的に追い込まれると言う事はあまりない。要するに余裕が出てきたのだ。

 

今日までがプレッシャーを伴う作業だったので、こういうタイミングでああいう騒ぎを見聞きすると、心が寒くなる。「はあちゅう騒動」だ。特段リンクなどははらない。ブックマークにいけばすぐわかるからだ。

この件、「文明の衝突」のようになってきたなと思う。やっている本人たちは自分たちは別々の案件について話し合っているのだ、と言いながら端から見ると正義と正義の衝突にしか見えない。氏の告発は正義であるし、逆に「童貞をいじってるお前も同罪だ」と言うのも正義だ。

ただ、後者の正義は女性には伝わりにくいと思う。男にとって童貞という言葉の重さだ。フェミニストが何かよくわからない人が、「男性性の誇示」として捉えているが、中にはもっと根源的で根が深い問題として捉えている若者もいる。そういう友人がいて、もう何を言っても無駄だったという経験もある。若年層での性体験のなさが全人格の否定のように捉え、その後の性体験に多大な影響与えてしまうこともある。その人間にとってはある種の通過儀礼というより、もっと重いものなのである。

 

おそらく氏の童貞への揶揄は、モテキを始めとする一連の作品の流れを汲んで行った行為だと思う。モテキもそうだし時期的には少しは後になるが逃げ恥もそうだが、これらの作品を支持しているのは童貞ではない。

ツイートを見ていたが、中には伊集院光すら童貞にとっては敵だからなと言う意思表示をしているものもいた。

 

私個人のことを言えば、モテキの冒頭で、モテない主人公を、リリー・フランキー扮する上司が思いっきり笑うというシーンがあって、そのシーンのリリー・フランキーの不快さでそれ以上見ることができなかった。別に童貞では無いのだが。

そのリリー・フランキーの笑いは、裏を返せばモテること、性体験が男にとってどれだけ重要であるかに、裏打ちされているということだ。それが不快だったのだ。それをマチズモに集約するのはちょっと軽いなと思う。ちなみにそこで見るのをやめてしまったので、役名がわからない。その上司=リリー・フランキーではないという事は名誉のために述べておく。

要するに女の人が軽々しく揶揄していいものではないのである。男女平等の気風が強い。正直ってそれはいいことである。物事性別で判断されるのではなく、優劣で判断されるべきだと思うからだ。それをフェアでとても良い。馬鹿な男が上司であるより、優秀な女性が上司の方が良い。

ただそれでもアンタッチャブルのものというのは存在するのではないかと思う。私は女性ではないのでわからないが、女性にとってもアンタッチャブルのものというのは存在していて、セクハラというのは根源的にそれを抱えているのではないかと思う。

 

童貞をからかうと言うのは男でも実は勇気のいる行動で、下手をすれば刺されても仕方がない行為だ。はるか昔、友人たちがそれで悩んでいたのを見て、また生涯パートナーがいない男が(女性が)増加しつつある昨今、異性がそこに踏み込んでいくのはよしたほうがいいと思うのだが。

童貞に関しては、女性の方は気にしていないことが多いと聞く。真偽のほどはわからないが。こと男性特有の問題として扱ったほうがいいような気がする。なにを言っても、恥をかかされたと感じるだろう。

あまり、まともに書いている人がいないから、女性の童貞への揶揄について捕捉しておく。