今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

18年元日新聞読み合わせ--十分日記111

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毎年、元日にはコンビニで買ってきて、新聞を読み較べる。だいたいこの日は、各紙の所信表明が載っていて、特色がよく出ていて面白い。今年は国家観が出ている部分が目立った。国家観というか、国民観というか。

今日は今年読んだものをざっと紹介しよう。

日経新聞 2018年1月1日

「技術は人々を解放する」

いつもの論調。技術が国境を無くすという話だ。国籍を容易に取得できる制度を始めたヨーロッパの国があり、そこを拠点にEU相手にビジネスを始める人が増えているそうな。エストニアらしい。仮想国民の数は二万人超。こういう人々からの投資を呼び込んでいくというものだ。スイスも新しいものを受け入れようという姿勢が強い。ビットコインなどを受け入れて、資金調達の拠点になっているようだ。

新しい技術にとって、国境など無意味なものであり、ボーダレスなほうが人々はハッピーになるという、パリピが書いたような記事だった。だが、窮しているものこそあたらしいことをやらなければならないというのは間違いがない。

結局、新聞はテレビ以上に読者層を反映した記事を書く。こういうものを読んで、満足いく人間とはどういう人間なのだろうと想像してしまう。きっと、昨年も楽しく暮らしたのであろう。

 

読売新聞 2018年1月1日

「堅実な国家のもとで。そろそろ増税しようぜ」

読売で興味深かったのは、社説であった。社説の大半を割いて書いていたのは外交問題である。外交というのはかっちりとした昔ながらの近代国家が前提で行われる。その趣が全面に出ていた。ともすれば、現政権への忖度の色の濃い記事を書く読売。そんな空気がよく出ていた。日経新聞と真逆だった。

北朝鮮とはアメリカが対話。日米関係は密接に、だがトランプの内向きなのは不安だよね。日中関係は八十年代のように蜜月関係にはなれないけど、日本が防衛力と経済力を保持することで、他の発展途上国とともに主張を強める。

経済については「将来に備えて、そろそろ増税じゃね?」。

来年辺りから増税ラッシュが始まりそうな気配。気配を忖度しすぎである。

国家の影響を減ずるというのも手なんだけどね。

読売新聞は悪い癖があって、長い文章を書いても読みづらい。 

読売の人生相談はちょっと面白い。今回は「おばあちゃんが書きためた、嫁への愚痴まで書いている日記は棄てるべきかどうか」であった。

 

朝日新聞 2018年1月1日

「孫には迷惑をかけないように。孤独でもいいんだよ」

朝日の年末年始はいつも同じ展開で、年末に冷や水を浴びせる。昨年末は少子化の話で、若者が「今になると怒りもない。絶望だけだ。その上の世代はきちっと当時の若者をバックアップしたのか」という煽りであった。そいつらに、「おかげで若者の人数が減って、受験でもなんでも優遇されたんだ」と言ってやればいいと思った。安穏と自分へのメリットにフリーライドしておいて文句を言う。実に朝日らしい。このあと、「あんなこと言ってない」と言い出せば完璧だ。

年始は「でも希望はあるよ」という展開で書く。ちょっと鼻で笑ってしまうときがある。今年は矢沢永吉を登場させて、ハッピーについて書いていた。

国というより、多様性のある日本社会の話になるのかな、と思っていた。だが、結論としては「もうあきらめた。独りで行きよう。それぞれの人間がハッピーならそれでいいじゃない」という空気が充満していた。

社説では、若い人の意思が届きにくいといわれているが、アンケートを採ると、シルバー世代の方が意識が高いとは言いながら、象徴である憲法でも変化を起こすことは可能だ、というようなことが書かれていた。ただし、最後にチョロっと書いてあるだけであった。メッセージとしては弱いものになった。

最終的には、「諦念」が朝日のテーマなのかもしれない。もう国も社会もどうでもよく、独りで生きていくということなのだろう。