昨年の長谷川豊騒動以来、政治ネタを書く頻度が増えている気がする。
それによってPVが増加傾向なら良いのだが、言えるほどの効果はない。
少し書く頻度を抑えたいとはいつも思う。なぜなら、くだらないことに首を突っ込んでいるという、自己嫌悪に毎度襲われるからである。そんな暇があったら、映画を見るか、小説を読むか、小説を書いていた方がいい。
田村耕太郎が「頭にきてもアホとは戦うな」という新刊を出したらしい。本屋で見つけて吹き出しそうになった。読んでないから中身については不明であるという前提で書く。
議論には前提になることがある。右と左でもいい。革命の美しさと社会秩序。歴史を見るときの切り取り方。議論を構築する上で、見方というものがそれぞれある。そこがずれている人と話すのは意外と難しい。「あ、前提がお互いずれているのだ」と気付くのはお互いに本気の議論をし終わった後、しばらくしてからだったりする。気づかずに罵り合うのである。これではお互いに消耗戦である。こういうときにお互いに相手がアホだと決めつけているものである。
報道ステーションでちょこっとだけやってた、「#me too」運動。
内容は置く。VTRが終わりスタジオに戻り、女性のアナウンサーが「日本では受け入れる体制が」云々と涙ながらに語っているのを見て、何かが冷めた。そこに冷静さはない。隣にいる男性のアナウンサーは何も感じていないようだった。まあ、利用されないようにね。隣の奴みたいなのがあなたを利用するんだよ。
なんてことを書いていると、女性嫌悪の人かと思われそうだけど、そうでもないんだけどねえ。積極的に好むたちだけどね。
わりと社会科学系に興味があったので、政治的な話にも興味がある。
ただ同時に、世の中なるようにしかならないんだよ、という諦念も持つというややこしい御仁が自分なので困ってしまう。興味があるから書くのだけど、書くたびに遣る方無いおもいに包まれるのである。
結局今まで通りか。はあ。