スター・ウォーズの最新作、「最後のジェダイ」がファンの間ですこぶる評判が悪いらしい。すべての作品を通して、レビューの点数が最悪らしい。
Rhymesterの宇多丸を始めとして、いろいろな人たちがレビューをしていて、様々な要因が挙げられている。
宇多丸は主に物語中の矛盾点をついていた。ここからネタバレに入る。もう公開からふた月程度経過しているので、考えずとも良いのであるが、改めて DVDなどで見る予定の人は注意されたし。
作中の人物たちの行動はたしかに矛盾している。宇宙空間で爆弾を投下できるのか、という問題や提督は味方ばかりなのにどうして作戦を言わなかったのか、ルークはどうしてまともな修行をしなかったのか、などきりがなかった。
それらも踏まえて、どうして駄作に見えるのか、私見を提示する。
主に三つである。
1、物語の構成
おおきな物語では、脱出→撤退戦(提督特攻)→塩の惑星(ルークの死)という流れだ。しかし、これは逆の方がよい。脱出→塩の惑星→撤退戦の順だ。撤退が失敗になると提督の特攻が軽くなってしまう。
ちなみに、宇多丸の不満に提督は味方に情報を告げなかったのはなぜか、というものがあったが、これはレジスタンスの内部に脱走兵が続出しているからである。ローズはフィンを脱走兵と勘違いするというシーンがあった。説明がないので非常にわかりづらいが、その脱走兵から情報が漏出すると考えるのが妥当だろう。
どうして順番が逆なのか。単純なミスなのか、変えさせられたのかはわからない。案外、変えさせたのではないか、と勘繰っている。陰謀論が好きなので、ネズミの帝国め・・・・・・。
2、構成の複雑さ
このスター・ウォーズは、都合三つの物語が同時進行する。撤退戦、レイの修行、フィン&ローズの冒険の三つだ。カイロレンやポーダメロンの視点を独立させれば、四つになる。
三つの場面を初見、解説なしで、整理しながら見て行くというのは至難の業だ。混乱する。しかもその中に初登場の人間がまじり、通常の映画より長いとなると尚更だ。
この辺りで不満が出るのは仕方がない。
3、主人公の不在(どこに思い入れ?)
構成の複雑さゆえ、人物にフォーカスできず、誰が主人公なのか分からなくなる。特に前作がレイアやハン・ソロが目立つ内容になっていた。各新キャラクターへの思い入れが完成していない時点で、これだけの複雑な物語を展開してしまうのは無謀だ。主人公がレイアやルークになってしまう。1との絡みだが、ルークの最後のシーンが目立つようになっているのもその原因だ。ルークの最後が納得いかないと言うファンもいる。それはこの辺りが原因だ。冷静に見ると結構かっこいい。
ちなみに、レイをルークがまともに修行しないことに不満がある人がいる。結局、カイロレンと互角、もしくは上を行くフォースの使い手である時点で、能力的な修行は不要。暗黒面に堕ちないための修行だけすればよい、と判断したか、新しい師が登場する伏線か。
旧、旧三部作も3つの場面が同時進行していく。シールドを破壊するハン・ソロの部隊の場面と、デス・スターを攻撃する部隊の場面と、ダースベイダー&皇帝と対峙するルークの場面だ。だが、ハン・ソロとルークはファンにとってどちらも主人公と言える位の思い入れがあり、これだけ複雑な展開をしていても苦痛ではない。それにそれぞれの場面のピークが、巧みにずらしてあった。
今回の本来の主人公レイは、あまり目立っていなかった。
宇多丸はローズとフィンの冒険が無駄であることに不満を抱いていた。だが、このシーンはローズに対して、感情移入させるためのものであると同時に、提督特攻につながるので、無駄ではない。フォースを持たない人間は失敗するのである。
全体的に説明が不足しているのが、 不満の原因だ。バラエティ番組みたいに、字幕とナレーションと笑い声を足せば、宇多丸でも理解できたのではないか。
というのは明らかに言いすぎだ。見てすぐに感想を言うのは、至難の業なのである。
説明過多の作品よりもこういう作品のほうが好きなので、結構好きな部類に入る。もちろん、旧、旧三部作に比べると劣るが、エピソードⅠよりは面白いと思う。
個人的には思い切り提督に思い入れをした。主人公不在は逆にそれぞれが主人公を決められるという効用もある。私にとって、この作品の主人公は、提督とルークである。だが、レイアには誰もかなわない。あのシーンには驚いた。
例によって、サンドバッグになってしまうスターウォーズであるが、それで成長してるのだろうか。
(※リンクを貼りました。言いたいことの雰囲気はこちらをご参照ください)
ファンはそれぞれあの日のスターウォーズを探している。だが、追憶が強烈すぎる。たぶん永遠に出会えないだろう。それを理解すると、お楽しめる作品に出会えるのに。