ゴールデンウィーク、いかがお過ごしだろうか。
我が家は子どもがいるわけでもないので、もっぱら休みは休憩に費やされる。それでも数年前まではどこかにでかけることもあった。が、今はそういうこともない。かみさんも後半に友人とでかけるようだ。
私自身はここ数年の傾向でもある、体調不良に悩まされている。
今年の春に花粉症になり、それに引き続き、今度は歯痛に悩まされている。
神経を抜いて、差し歯になっているところが痛い。
抗生物質と痛み止めを飲んで様子を見るように歯科医には言われている。
もしかするとこの春から変更した薬の影響かと思って主治医に聞いてみたところ、「否定はできない」とのことだった。なんてこった・・・・・・。
ロキソニンという痛み止めは、眠くなりにくいということで評判らしい。が、ガンガンに眠くて、ずっと寝てる。
昨日は近所で子どもたちが大騒ぎしていた。はじめ、子供会か何かのイベントかと思った。だが、子どもたちが帰るときに「お誕生日おめでとう」と招いた子どもに向かって、大音声で言っていたことから、「ああ、誕生日会なのだ」とわかった。
連休中ということもあって、それぞれの親御さんが引率でやってきていた。旦那衆もやってきたようだ。その旦那衆が子どもと一緒に騒いでいるのには少し驚いた。
自分のイメージの中の大人は、大人同士でかたまって話をしていたからだ。
お盆と正月に母方の実家に集まった。今には掘りごたつがあるのだが、そこに仏間にあるテーブルを連結して夕飯をともにする。掘りごたつは大人衆、テーブルには子ども衆が座る。
間に叔母が居て、それぞれの給仕をする。しながら、叔母は子ども衆と話をしていた。子供は出されていたオードブルをすさまじい勢いで平らげる。大人は酒を飲みながらということもあって、残す。「ほら、おまえら、食べろ」と言われて、大人衆のものまで子どもは平らげてしまう。毎年そんな感じだ。
年越しそばはそのあと食べる。オードブルを平らげた後だ。
かまぼこ、ネギ、エビ天、穴子天まで載っていた。子ども衆のは。大人は、「そば少なめ」とか、「天ぷらは要らない」とか言っていた気がする。
大晦日は大人はレコ大や紅白を見たがり、子どもはドラえもんを見たがる。今とちがって、大人を感動させるような、おもしろくないドラえもんではなく、ドラえもんはれっきとした子どもの物だった。
子どもには外連が感覚的にわかる。子どもの頃に子猫物語や南極物語を見たが、退屈そのものだった。それより、グーニーズの方がおもしろい。スターウォーズの方がおもしろい。感動なんてものより、わかりやすく「すげえ」からだ。映画のときにいいやつになってしまうジャイアンには舌打ちをした。子どもが誰だかわからない星野源が主題歌を歌うこともなかった。
大人は社会の話をし、子どもは学校の話をする。妙に子どもと一緒にはしゃぐこともない。そこには歴とした境界があった。
その境界がなくなってしまったのだと、子ども以上にはしゃぐ父親の声を聞きながら思った。それがいいことなのか、悪いことなのかはそんな姿を見て育った子どもが、どんな大人になるのか見てみないとわからない。
かみさんが今日、整体に行った。
「やっぱり四日とか五日が混むの」
と帰ってきたかみさんに聞いてみた。
このテンションで行ったら、みな大人は疲れ果てるだろう。
「先生を増員するんだって」
無理して子どもになる必要はないんだよ。
いっぱい子どもが集まっているタイミングで。
「大人になる」というのは好まれなくなってきている。だが大人なのに、大人としてふるまえないのはきっとつらいに違いない。聞いていると、母親衆ははしゃいでいない感じだ。家族で母親だけが大人なのだろう。
それとも父親たちは、自分が子どもだということをアピールすることで、何かを回避しているのだろうか。