今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

末期的症状――十分日記170

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70歳定年のはずが…自民9人が出馬意思 特例に反発も(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

もろ団塊の世代か。やっかいだよな。もう上の世代はいないし、下からは言いにくいし、自分たちで解決・・・・・・、するわけないし。なにやっても許されてきた世代だからね。

2018/06/01 16:09

 最近、ときどき思うことがある。

二〇一〇年代に入って、日本の国や社会はいよいよ末期症状を迎えている、と。

 

母が昔パートをしていた結婚式場が、倒産したときの話をしていた。

倒産すると決まった途端、バイヤーや貸衣装屋など外部業者が飛んできて、自社の製品を一気に持ち出していたそうだ。火事場のような騒ぎだったらしい。今までにこやかに下手に出ていた人間も、形相を変えていたそうだ。そうやって、自分の物を差し押さえされるのを防ぎたかったのだろう。

今考えると、結婚式場にどうしてバイヤーがいたのかは分からない。

そんな話を笑い話として語り、まったく人間不信にもなっていなかった母のタフさに驚いたり、もともと他人なんて信用していない人なのかもしれないと思ったりした。うちの母だと後者もありうるのである。なにせ、自分の息子の生き方が嫌いだと言い放つ人だからね。

 

今の日本はそんな「倒産直前の会社」のような感じがする。

とにかく、自分の取り分を取りっぱぐれないように、もっとあわよくば取り分を増やそうとしているようにも見える。

政治家が教育を使って、金儲けをしようと画策したり。

どうでもいい文書改ざんをしたり。

他人を無限に働かせる法律を作ったり。

お友達だけを優遇したり。

教育者が己のために学生を利用したり。

じじいの薄汚さが目立つ。

とはいうものの、お年寄りとてやさしい人もいる。

だが、ある程度の地位に就いている老人は最悪である。どうしてだろう。最悪じゃないと地位に就けないからだろうか。

 

この間、夜道を歩いていたら、「おら―」という怒鳴り声が聞こえて振り返ると、おじいさんが怒っているらしかった。私の前をゆく男性がスマホを片手に自転車に乗っていて、それを咎めたかったらしい。もちろん効果はない。それを思い出した。

 

補足がいるかもしれないが、アマチュアスポーツで強いチームを持って、一番利益があるのは指導者だ。メジャー競技、いやはっきりいって、野球とサッカーくらいだろう。活躍した後、選手にメリットがあるのは。しかも男子だけ。それも、一部の人間しか活躍できない。

 

日本社会が末期的状態になってしまったきっかけは何かと問われれば、それは東日本の震災だったと断言してよい。正確に言えば、震災のあとの復興が中途半端になったことだろう。あそここそ、得意の公共事業に金をつっこめばよかった。

しかし、原発のことがあるから、人々の意識を他にそらせたい。だから、終ってもいないのに、復興がなんとなく終ったような印象操作をした。

特に自民党はそうだろう。

 

好景気なのに、社会的にはぎすぎすしている。

これもみな知っているからだ。

景気が良いといっても国、社会全体に波及するような性質のものではなくて、一部富裕層がさらに富むだけだと。

 

加えて東京オリンピックが決まってしまった。

これが致命的だった。

スポーツ指導者の傲岸なふるまいもオリンピックが煽っているような気もする。

オリンピックに金をつぎ込むために、東北がなおざりになっている。

オリンピックで作った競技施設は、その後のことを考えると、それほど豪奢な造りにしなくても良いと思う。と今更言っても仕方がないが。

その分を本当は東北の復興に当てた方がよかった。

matome.naver.jp

 

予測によれば、オリンピックが終ると、不景気が待っているらしい。

早い予測では一九年度から景気後退らしい。

それはオリンピック用の施設が次々と建設終了し、それに付随した不動産バブルも終焉するからだ。

 

その後は本当は東北の復興を真剣にやらねばならないのだが、火事場泥棒を避ける意味でも、いったん民間主導で様々な社会問題を解決する方向へ持って行ったらどうだろう。金だけ税金から出させて、政治家や政府には口を挟ませない。そんな方向でいけないだろうか、と思うこの頃である。もう政治家などの権力者は切り離して、昔の貴族のように国家行事を淡々とこなす神主的な位置において、実際の政治は民衆がやる。それが良い気がするのである。技術的には直接民主制は可能なはずである。

 

※書いていて、「今この五輪の開会式を東北の仮設住宅から応援している人々がいます」的なNHKのアナウンスとともに、おばあちゃんが白々しくテレビを見ている光景が、画面に映るのを想像して嫌になった。