2018年6月19日、大阪北部を震源とする震度6弱の地震が発生した。
地震の被害は震度やマグニチュードによらず、具体的な状況によるわけで、やはり今回の地震は大きなものになった。無意識にこんな文章を書いたが、癖で地震が起きると東日本大震災と震度などを比べてしまう自分がいるからだ。
被害に遭われた方にはお見舞い申し上げる。
ブログをやるようになって良かったと思うことの一つは、「無意味な情報を摂取しない」という選択を意識的にできるようになったことだ。
特に救いのない、災害や事件が起きた場合、必要な情報の範囲を決める。その外にある情報を極力見聞きしない。同じ情報でも何度も見聞きしてしまったり、デマや心ない言葉などを見続けると、精神的に参ってしまう。
今回もそうで、一回だけ現地の航空映像などを見た。
またぞろ愁嘆場を見せられるのかと思ったのだが、表面上は平静を保っているようだった。阪神の震災のときのように、街を火が包んでいたり、東日本の震災のように津波が一帯を飲み込んでいくような映像を見なくても済んだ。
もちろん、被災された方が大変じゃなかったわけではない。
特に交通機関が混乱しているというニュースは読んだ。
若い頃、特にツイッターだけをやっているときに東日本の震災が起こったが、そのときは食い入るように情報を見ていた。割と物資が不足したり、原発の事故があったからだ。情報を得なければ知らない間に、とんでもない目に遭いそうな切迫感も感じていた。
だが、結論から言えば、大切な情報はいくら探しても出ないときは出ない。テレビでも原発の映像は数時間後。メルトダウンしているという情報はタイムラインに踊っていたが、それが真実だと確定したのはずっとあとだ。調べても無駄といえば無駄だ。それに知ったところでどうしようもない。
それで何とかなるかと言えば、なんともならない。
物資の不足はどうしようもないし、開かないスーパーの情報も入ってこない。時短営業しているスーパーに行っても、何もない。
だから、定点観測ではないが、ずっと情報を見ずに、見る時間を決めて情報は摂取した方がよい。と個人的には思う。
あほも多いしね。
もっとも今回の大阪の場合、そこまで酷い状況にはなっていないようだ。
なくなられた方や怪我をされた方は不幸だったが、それだけは救いである。