今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

プレイボーイーー十分日記176

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自分自身で考えているようで、考えられる事なんて、決まり切っている。

それでも自分で考えず、簡単な善悪の判断さえ、自分以外にゆだねるよりはよっぽどましだ。所属意識なんぞ糞食らえだ。

大仰な出だしである。

一昨日、「関東すら梅雨の戻りだよ」などと気象予報士に言われながら、無事空振りに終った。昨日は「蒸し暑くなるよ」と同人に言われながら、寒いくらいだった。

このタイミング、絶対に床屋は空いている、と読んだ。

いつも通っている床屋に行くと、予想に反して混んでいた。

考えることなどみな同じである。

待つ間、プレイボーイを読んでいた。

そのなかで伊集院静がエッセイを書いている。それが読みたかった。

内容はというと、伊集院静が若いころの話であった。

若い者の常で、左翼思想にかぶれた伊集院氏である。高校時代の恩師の影響だ。それが高校卒業後、父親と不仲になり、そうでない世界を見ることになる。

父親と不和になるということは当然、大学の学費も出してもらえない。生活費もない。それを工面するために伊集院氏は、沖仲仕(おきなかし・おきなかせ)になる。沖仲仕とは船と陸のあいだの荷物を運搬する仕事だ。

かれは沖仲仕として爆弾を運んでいた。ときはベトナム戦争の時期だ。ベ平連などベトナム反戦が盛り上がっているのだが、彼は自分の意思とは関係なく爆弾を運んでいる。その沖仲仕の間にある世界とは、右も左もない世界だった。

 

ロックが好きだが、原理的なロックの世界とは実は伊集院静が体験している世界だ。そういう連中の世界を描いているものだ。ラブソングもそういう連中の世界だ。

全然詳しくないから、「たぶん」を強調しておくが、もともとヒップホップの描く世界もそういう世界だろう。

面白いことに一昔前のヒップホップのMVはみんな同じで、金持ちになって、でかい車に乗って、ねえちゃんをはべらせて、金歯にして。みたいな世界だった。

 

日本の終戦直後から高度成長期の割と最後の方まで、若者の世界は貧乏で未來があるのかどうか分からず、というものだったのだろう。

逆に思想などにかぶれず生きるというのは、合理的な生き方なのかもしれないと思った。つらいけどね。

 

さて、フライデーでは、小島慶子がいかにミスコンがジェンダー的に不毛化ということを、八十年代からずっと使い古された表現で書いていた。

「もういいよ。男や社会が『出ろ』と言っている訳じゃなし。でる女性がいなくなればミスコンなんて成立しないんだよ」

と内心反論していた。別に十人並みの容姿が否定されるものでもなければ、「美しい女性」というのも立派な個性であり、それで利益が得られるのならそれでいいじゃないか、と正直言って思う。まるでミスコンに関わった人々がみな原始人みたいな印象を与える文章には違和感を持った。

伊集院静の沖仲仕の話ではないが、性や容姿を売って生活をせざるを得ない女性だっているだろうよ。「そんな世界はおかしい」というには、自分のいる位置をそういう女性にすべて差し出さなければ言えない言説だ。

具体的な事実こそ真実なのだ。

 

そして小島慶子のエッセイからページをめくると、風俗か、AV女優の紹介コーナーが裸つきで出ていて失笑してしまった。

プレイボーイ、わかってるな。

 

FRIDAY(フライデー) 2018年 7/13 号 [雑誌]

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