先日、北野武監督作品、「dolls」を見た。
そろそろ、たけしの小説の新作が出るのだろうか。前作「アナログ」は純愛ものだったが、その世界に通じるのがこの作品だ。もちろん「Dolls」のほうが2002年の作品なので、こちらのほうが先に作られているのは言うまでもない。
冒頭に人形浄瑠璃が演じられる。まったく詳しくないのでその作品がなんなのかは分からないが、心中ものだということはわかった。その時点で登場人物たちの終末は創造がつく。ただ、その終末に至るまでの経緯が問題だ。
松本は相思相愛の恋人がいた。しかし、社長令嬢に惚れられて恋人を捨て結婚することに決める。両親などは「必要なら自分たちが土下座してでも破断させるから」と泣きつく。
断りきれなくて結婚することに決める。ところが恋人であった佐和子は多量の催眠薬をのんで自殺をはかる。
ところが親切ごかして、そのことを松本に伝える親友がでてくる。しかも松本の結婚式の日に。
堪えられなくなって松本は式場を抜け出して、佐和子の元に向かう。佐和子は心神喪失状態になっていた。その「Doll」状態になった佐和子を連れ、逃避行を開始する。
佐和子は目を話すとなにをするかわからない。松本は自分と佐和子を赤い綱で結ぶ。そのまま、二人は彷徨する。
そんな二人をいつしか「つながり乞食」と人々は呼ぶようになった。
松本もいつのまにか、「Dolls」状態になっていた。ふたりは桜、紅葉など、四季の美しい風景のなかを歩く。風景は「Dolls」を残酷なほどに際立たせる。やがて季節は冬になり……。
途中、武得意のパターン、ショートストーリーがはさまる。
深田恭子扮するアイドルとおっかけの話が物悲しい。
皆が皆、死に向かい彷徨する。
監督自身は「もっとも残酷」と本作を評したらしいが、「もっとも美しい」という表現が正しい気がする。
誰もが純愛に憧れる。だから女性は手に入らない恋愛ドラマに血熱を上げる。だが、美しい生き方は残酷だ。美しいのは瞬間的であり、目を離すとすぐに崩れてしまう。
そんな瞬間を描く作品だ。
菅野美穂演じる佐和子はめちゃくちゃな逃避行なのに、やがて満たされていく。最後、冒頭の人形のような歩き方をする。
本当に恋愛に生きるとはこういうことなのだろう。