今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

小説家になろうーー十分日記213

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※弘法寺参道の階段

久しぶりに小説を完成させて「小説家になろう」にアップしました。

https://ncode.syosetu.com/n5628ff/

 

以下、あとがきから転載します。

よろしくご笑納ください。

 

ーあとがきー

今回は時代小説に挑戦しました。
テーマは平易な書き口にすること。
説明が必要な部分はきちんと説明すること。
かつ説明過多に陥らないこと。
場所は現代でいえば、千葉県の市川市です。江戸川を挟んですぐ近くが東京の小岩になります。知らない土地の人々に説明すると、大雑把にいえば、ディズニーランドのあたりです。
この時代の市川や船橋あたりは結構面白いです。作中にもありますが、江戸時代の市川あたりは幕府の直轄領です。最近は「幕領」と呼ぶそうです。
江戸川あたりには関所があって、「入り鉄砲、出女」を取り締まっています。実際にこれに反してしまって、罰せられたこともあるようです。しかし、抜け道はいくらでもあったでしょう。現に、関所の人間と地元の有力者は密接な関係にあったようですし。蛇の道は蛇というやつですね。
よく明治維新は「無血革命」といわれますが、結構各地で激戦が繰り広げられています。船橋でも激戦がありました。有名なのは五稜郭や会津での戦いですね。江戸開城は無血です。上野で戦いがありましたが。私たちが習っているのは、薩長政府の描いた正史に基づいた教科書ですからね。戊辰戦争の緒戦から圧倒的だったともいえないらしいですし。しかし、圧倒的だと思わせたいのでしょう。
そんな時代のなか市川はどうだったか。特に商人や百姓などの大衆の感覚はどうだったかというと、バラバラだったのだと思います。このお話にも出てきますが、商家のなかには水戸の藩士をかくまったものもいたみたいです。つまり、先行投資をしているのですね。逆をいえば、それに反対するものもいたでしょう。大野村という市川の山奥の人々は、そんな維新の志士を取り締まっています。
市川のあたりの人々はなかなかの曲者だったみたいです。昔から。今も?
そんな時代の空気に便乗する有象無象を描くというのが一番やりたかったことですが、伝わりきれていないかもしれません。
大和久伊織という人物を描くことに腐心しすぎたかもしれませんね。
そして、昨今のネット上の空気も流れていると、読み返すと感じます。刺して、刺されての殺し合い。刺される方が間抜けなのだという、正義なき空気。こういうのを描くには、時代をずらした方がいいのでしょう。書きやすい。
そんな強く、したたかな人々が、ルールも倫理もなく、刺し刺されして、のし上がっていく。性をも利用する強さ、弱さを利用する狡知、ネットの猛者と通ずるこの感じを描くというのが創作の原点でした。もちろん、そこに単純な「良い、悪い」を持ち込む気はありません。自分の正しさのために戦う人々を描きたかったのです。