先日、マリナーズのイチローが引退を表明した。
そのときの会見が話題を呼んだ。
また国民栄誉賞を三回辞退してこれも話題になった。
こういう様子を見ていると子供のころからとらわれる感覚がある。それは「つくづく私は狭間の世代」だということだ。
世代というおおげさな表現をしたが、これは10年とか長い期間の話ではない。あくまで2,3年くらいの幅だ。子供のころから感じているのだからそういう感覚になるのだと思う。
小学校から中学校に進学してすぐ、小学校のプールが全面改修された。それまでは、裏山と呼ばれる、小高い丘の上にプールはあった。校舎自体はその丘のふもとにあった。だいたい公立学校に供される土地とはあまり使い勝手の良い場所ではない。水はけが悪く、農作物も取れにくいところだ。昔墓地だったところを学校にすることもあったらしい。それがもとで、学校には幽霊が出るといううわさが出てくるのである。
そのプールも日当たりが悪く、真夏でも水温が上がらないことが多々あった。水の表面には周囲の木々から落ちるごみやら虫やらが多く浮いていた。
それからもっと日当たりの良い土地にプールが移された。
中学校では剣道部の幽霊部員だったが、練習場所は体育館を他の部と共用していた。それが卒業後に武道館が建った。
ひがんでいるわけではないが、そういうタイミングが多々あるなあと感じていた。
人材的にも、少し上にはイチロー、すぐ上には松井秀喜がいて、私たちの世代には高橋由伸など優秀な人はいるが、イチロー、松井ほど世界的に活躍する人はいないような印象がある。もちろん、調べてみれば実際は違うという可能性は高い。
すぐ下の世代にも中田英寿がいたりする。
すぐ上の世代とすぐ下の世代には我々の世代より美人が多い気がした。(冗談)
実際は違うのだろうけど、そんな感じがするのである。
ところで、我々ロストジェネレーションが世間を騒がしている。
ことさらかわいそうだと書くことで、留飲を下げるものがいるのだろう。
実はロストジェネレーションの幅が年々広がっている。
この用語は覚えているが、朝日新聞が持ち出した。いつか忘れたが、00年代初頭の正月に使い始めた。ご存知の通り、正月の新聞だけは毎年よく読むので覚えている。そのときの基準では「団塊ジュニア」以降の世代ということになっていた。76年生まれ以降であった。
なんでそんな厳密なことを持ち出すのかというと、それはその世代の就職活動が年単位でまったく空気が変わったからだ。前年までよりも、いきなり厳しくなった。その世代の渦中にいたからよく覚えている。団塊ジュニアの就職は、バブル期よりはきつかったとはいえ、ロスジェネと呼ばれる世代よりはましだった。狭間の世代としてその空気を吸っていたからよく覚えている。やはり狭間の世代であるという個人的な感覚が呼び起されたのもよく覚えている。
別にこんな呼び名は社会学者の留飲を下げるためのレッテル張りなので、今となっては誰が含まれるのかはどうでもよいのであるが、その当時の空気は伝えたほうが良いのかもしれないと思った。
つい昨年、「狭間の世代である」という感覚ではなく、いきなり社会情勢が変化して、恐怖感がやってくるのであるが、それは別の話。
書いた後に見つけたよ。
※読んでないのに、ありえねえのがわかる良書。