今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

文章講座って難しいよねーー十分日記234

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買い換えたパソコンの調子がすこぶるよく、またぞろブログの更新をさぼって、パソコンをいじり倒すことに夢中になっている。夢中になりながら時間が空くと、ちょこちょこっとtwitterを覗きに行く。という生活を継続しているとブログを更新したくなくなるので、リハビリがてらこの記事を書いている。というと読んでいる人に非常に申し訳ない気分になってくるのだが、事実なので致し方ない。

 

twitterを読んでいたら、fktackさんが以下の記事にコメントを書いていた。

note.mu

特にfktackさんをお呼びしたいわけでもないので、コールはしない。

引用記事の内容はご本人もおっしゃる通りタイトルでわかるものなので全部を読まなくてもいい。例で挙げてある文章にあえて突っ込みを入れお茶を濁して、ブログ更新をしよう。はっきりいって、筆者の方にとってはとばっちりという内容である。すいません。

いま自分がいちばん気になっているのは「この作品に勝者はいるのか?」という視点です。

いま自分がいちばん気になっているのは「この作品に勝者はいるのか?」です。

例示で上よりも下のほうがよいという内容である。「シュッとしている」と言いたいのだろう。しかし、「という」を抜くために、「視点」も取ってしまうと、完全に意味が変わってしまう。「気になっているのは視点です」だと気になっているのは『どうしてそういう視点を持つのか』であるが、下で気になっているのは「この作品に勝者はいるのか?」ということになる。少し意味が変わる。主語と述語の対応関係を考えたほうがいい。ちなみに、「?」は書かないほうがいい。

ですが99期生の出番がアニメと舞台が終わったら終了、というのも寂しいものです。

ですが99期生の出番がアニメと舞台が終わったら終了、では寂しすぎます。

本当は、この例示はなんだかアニメのレビューの一部なのであるが、これが口語で書きたいのか、文語で書きたいのかにもよるのだが、「ですが」は一般的に口語表現で使ったほうが良いのだが、別に違反でもないだろう。

ですが、「99期生の出番がアニメと舞台が終わったら終了」では寂しすぎます。

としたほうが良いのかもしれない。口語的なニュアンスも出るのかな。

同一キャラクターで物語を継続すると「前作でハードルを乗り越えたのに続編で再度落としてもう一度上げる」という面倒なシチュエーションになるので無難に後者な感じはしますが。

同一キャラクターで物語を継続すると「前作でハードルを乗り越えたのに続編で再度落としてもう一度上げる」構成になりがちなので、無難に後者な感じはしますが。

これは、このようにしては。

同一キャラクターで物語を継続すると「前作でハードルを乗り越えたのに、続編で再度落として、もう一度上げる」という構成になる。面倒なシチュエーションになるので、無難な後者な感じはしますが。

文語と口語表現と折衷の表現になっているので、句読点をうまく使って口語表現を引き立てたほうがよい。意味的には一度ここで切れるので、文章をシュッとさせたいなら、一文のなかで言いたいことは一つにしたほうがいい。

気を付けているのだが、私は句読点を打ちすぎるきらいがある。だが、「  」の部分はこれくらい句読点がないと読みづらい。動作というか、動きが三つあるからだ。

 

素人おじさんのめんどくさい文章添削講座でした。

結論から言えば、fktackさんもコメントで書いていたけれども、その余剰というか、余計な部分というか、稚拙な部分というか、そういう部分に人間性が出るので、好きに書け。

ある文章に「英単語を休み時間に繰り返し書いて覚え、空き時間も使って繰り返して覚えた」と書かれていて、「ああ、繰り返したんだな、本当に」と感じた。文章的には繰り返しを多用しすぎであるが。人間性はこういう部分に出る。

 

下の添削でも、「稀です」というのと「稀だと思います」は全然意味が違う。前者は一般論、後者は個人が思ったことになる。「こと」と「結果」のどちらがよいかは文章全体のテイストによる。どちらでもよい。最後もどっちでもいいよ。

私も文章を書いていて、「思う」とかを多用しているなとか思うことはあるが、それはあくまで個人の雑感である。それを一般化して押し付けちゃいけないぜ。

だから、「自分特有の言い回しを把握しよう」というのは良いと思う。そういうのが気になることはある。

嫌な予感がして、ブックマークを見てみた。同じような感想が並んでいて、ひとり舌打ちをした。