昨日はガンダムthe originの話題を書いた。本当はこちらの話題を書こうとも思った。
事件の概要をメディアが詳しく報道してくれる。
女児のどこをどのように切りつけたか。
刺された外務省の職員はどこを刺されたのか。
あまり必要のない情報も教えてくれる。
そして、異常探し。
今回の事件、加害者以外のかかわった人々の誰にも落ち度がないのがまた悲しい。
一昨日は、関係者による記者会見が行われた。どうして学校が記者会見をやらねばならないのか、よくわからなかった。
男性の副校長が実際に現場にいて、事件の様子を語っていた。冷静な現場の描写をしている姿を見ていて、「なんだか感情が追いついていないみたいだ」と感じた。そして、彼の感情が状態に追いついたときのことを想像して、ちょっとぞっとした。
事件被害者の保護者には代理人の弁護士がつき、すぐにコメントが出ていた。このことから、この種の危機管理が徹底していそうなので大丈夫だと思うが、当たり前といわれそうだが、先生のケアも行ってほしいね。かなり凄惨な現場だったらしいから。
そうそう。どうしてこういう感想めいたことを書いているかというと、落ち着かないからだ。どうにも心がざわめいて仕方がない。実際あまり眠れなかった。
別に、同種事件を画策して、凶器を購入していたとか、後ろめたいことがあるわけでもない。人生に焦りを感じているのは確かだが、それはみな一緒だろう。
なんとなくさんざめく気持ちを落ち着かせるために書く。
あと、ただの憂さ晴らしで書いているのではない人の意見を読みたくなる。トピシュさんのブログやズイショさんのブログも読んだ。無力感に裏打ちされつつも、それに抗いたいという気持ちや、トピシュさんのように耳をふさぎ、情報を遮断して平静を保ちたくなる気持ちもよく分かった。
なんだか疲れてしまって、徒労感に浸っていたい気分でもある。そうするといつしか、活力が盛り上がってくる時期がやってくるからだ。
その気分に抗って思考すると、為政者も含めて、社会をデザインする人々のなかに、本当に高所から社会全体を俯瞰して設計している者がいないということが問題なのだろう。社会を設計している人々は学生時代から、個人の能力を最高に引き出す訓練を受け、試されてきているが、高所から社会全体を俯瞰で見る能力は育てていないし、試されてもいない。(そういう能力が育つことは権力が嫌う)
だからか、みんながかんがえているのが、「自分と自分の家族が生き残るための水際作戦」である。これは対処療法だ。対処療法を超えた戦略が求められている。
慣れからか、メディアは逆の方向にあおっていくし。
もう全く考えがまとまらないからこれでおわろう。