瀧山と聞いて、「大奥か」とピンとくる人は、歴史に詳しい人か、それとも一時期はやった大奥ブームで知ったか、どちらかだろう。
瀧山というのは女性の名前で、幕末の時期に大奥総取締として、五代の将軍に仕えた。権勢は最後の将軍慶喜に、「瀧山がいては、幕政の改革はできない」と言わしめたほどのものであった。
その瀧山が日々記録していた、贈答品の日記がでてきた。それを「英雄たちの選択」という番組が丹念に調べた。調べたのは大石力という学者さん率いるチームだ。大石力は多くの大河ドラマの歴史考証を引き受けた学者さんだ。
贈答品の日付を調べると、それが何に起因する贈答品なのかがわかる。
たとえば、瀧山が口利きをした期日あたりに賂品が贈答されていたりする。
領地替えの決定も、瀧山が口をきいてひっくり返していた可能性も出てきた。
それだけでなく、目下のものに気配りをして、辞めるものにもきちんと物をもたせたりしていたことも分かった。
ゲストとして、なぜかIKKOさんやら、TKOの木本やらが出ていたのであるが、その瀧山のやり手な部分に感動して、IKKOさんなどは泣いてしまった。
もちろん瀧山が目下のものへも贈答品を欠かさず、気を配っていたことも確かだろう。だが、同時に情報への渇望もあったのだろうと思う。それは自分が暮らす場所の外の情報だ。それを積極的に取るために、贈答品を贈って、情報をもらいやすくしているのだろう。嫌な相手に自分の持っている情報を渡すわけがないのである。
上記で「領地替えをひっくり返した」と書いたが、その一年後に大政奉還が行われる。その領地替えは田安家(御三卿)を甲斐から相模に動かすというものであった。番組的にはそれをひっくり返したのを正しいこととして扱っていたが、大局的に見れば、間違っている。
甲斐は中山道の要衝であり、もしも討幕軍が中山道を通った場合、通過する可能性がある。相模もそうだ。東海道を通った場合(というより、通らない場合を仮定するのが困難だが)、相模を固めるのは当然である。そこに御三卿の家を置くというのは理にかなっている。
瀧山はそれを理解せずに、先祖からの土地だからという田安の訴えを入れて、領地替えをひっくり返す。きちんと外の情報を得ながらも情動の裁断をしてしまったのだ。
人は結局は周囲数メートルの範囲からしか判断ができないものなのだろう。
いくら幕末で世間があれているとはいえ、自分へ周りからやってくる贈答品はそれほど減らなかった。だから、体感的にはこのあと一年後に討幕があっさり(でもないが)と達成されてしまうとは思わなかったのかもしれない。
人のことは言えず。
狭いなかに生きていると見えないことがたくさんあるのだと感じた。
こういう優秀な人を飼い殺しにしてしまうのは実に惜しい。女傑として幕末の表舞台に出したら、面白い人だったのに、と思いながらテレビを見ていた。
※トップの画像は瀧山さんというらしい。親戚かな。