我が妻が仕事柄、また元々奈良や京都の古寺を回るのが好きな質で、非常に興味を持ち、「行こう」ということになった。
前日思い立って急に行ったので、時間調整などがうまくいかなかった。
見終わったのが、午後三時くらいで、お昼くらいから入った。展覧会開始一週目の日曜日の昼、というめちゃくちゃ混む時間帯になってしまった。外での待ちはなかったものの、なかは非常な混雑だった。やはり、前期展覧会の目玉である、あれのせいだろうか。
展示物の全体構成を書くと、一章から五章に分かれる。
第一章では「聖武天皇と光明皇后ゆかりの宝物」が展示される。
ここでは「法隆寺献物帳」という国宝や「法隆寺献物帳」が並ぶ。特に「法隆寺献物帳」は修正を拒むために、ずらっと「天皇御璽」の印字が並んでいる。末尾には有力者である藤原仲麻呂などの名前が並ぶ。これが圧巻であった。
そして個人的には、「直刀 無銘(号:水龍剣)」という反りの無いまっすぐな刀が展示されているのだが、これがきれいだと思った。また並んで展示されている、二面の鏡がきれいだと思った。一枚は(確認したが)山川の日本史の図欄に載ってしまうほどの有名な鏡だった(平螺鈿背円鏡)。
以下は、正倉院の巨大なレプリカ。撮影フリーだった。
第二章は「華麗なる染織美術」である。
正直に書くと、この辺りのものが貴重なのは重々理解しているが、年月が非常に経過していて、見ていて何が描かれているのかわからないモノが多かった。
しかし、「花氈(かせん)」と呼ばれる、いわゆる毛織物のカーペットを見ていて思った。このきらびやかなものたちはすべて、唐を経由して日本にやってきたものだ。行ってしまえば、唐の経済力がすごいということだ、というひねくれた思いを抱いた。
司馬遼太郎は、昔「文明国」であった国はいくつもない。そのうちの一つが唐の長安だ、と言っていた。文明国にはカギ括弧をつけた。少々司馬が考えた特殊な用語だからだ。司馬が考える「文明国」の条件は、真に国際的で様々な人種、文化圏の人々が住んでいること、であった。ある文物が生み出されるとき、その文物があらゆる人種、文化圏でも使いやすいものであるとき、それは技術になるのだと書いていた。そのような状態である都市は、そののちのアメリカ、ニューヨークであった。
そうしてアラビアや西欧からも集めた文物、影響されて作り上げた文物が、冊封体制の各国に流通していたのかもしれない。そう思うとちょっと楽しくなった。
その大唐帝国の往時を正倉院展を見ていて感じてしまった。
「花氈」の文様が、中国にとっての異民族の影響を多大に受けているものであったからかもしれない。エキゾチックな趣が非常に心地よい。
第三章は「名香の世界」だ。
その区画に入っていくと、かすかに甘い匂いがした。あとで妻に聞くとやはりそれを感じていたらしいから、勘違いでは無いのだろう。
ここでは東南アジアからやってきた香木が展示されている。
見所はなんといっても、「蘭奢待(らんじゃたい)」だろう。沈香と呼ばれる香木であり、歴史的には織田信長、足利義政、明治天皇が一部を切り取った。その切り取った後がきちんと分る。大人の指四本分の幅で、手のひらくらいの大きさを切り取っている。これは火にくべると、非常に妙なる香りがするらしい。
蘭奢待の存在は知っていたが、もっと小さいものだと勝手に想像していた。大人が手を広げたくらいの長さの香木でびっくりした。
そしてこれも確認したが、「銀薫炉」という、図説に載ってしまう香炉も展示されていた。これももっと手のひらサイズのものを想像していたが、大ぶりのスイカくらいの大きさがあった。
さて、第二展示場に移り、メインイベントのあれが展示されていた。
これらは最後に展示されていたレプリカであるが、この五弦の琵琶の本物が展示されていた。「螺鈿紫檀五絃琵琶」である。
これには人がずっと群がっていた。
妻曰く、「学芸員がうっとうしかった。ずっと右にずれろ、右にずれろって言うから集中して見られなかった」とのこと。私はそんな声は無視した。さいきんマインドフルネスをやっているおかげで、雑音は無視するすべを得ているのである。
さて、「螺鈿」とは貝殻の内側を薄く剥いで貼り付けること、「紫檀」は木の材質だ。写真はレプリカだが、たいてい歴史的な文物だとレプリカの方が素晴らしいできになってしまうのだが、こればかりは本物のに比べると数段品が下がる。
展示室には、別のレプリカもあったのだが、やはりどうもおもしろくない。本物の方がよい。
同時におそらくレプリカを弾いたのだろうが、この琵琶の音が流れていた。あまり音は良くなかった。これは後世の琵琶の方がよい。
なんとなく気になったので調べてみた。
琵琶っていくらくらいするんだろう。
Amazonであったよ。これは薩摩琵琶と呼ばれるものらしく、値段は42万円だった。高いものだと、100万を越えるものもあった。
この「螺鈿紫檀五絃琵琶」の場合、使われている貝が南方の貝で貴重なものらしい。
裏面が非常にきれいな花模様をあしらったものだった。
ギターでいうボディーの部分にはフタコブラクダに乗り演奏している人が描かれている。とても異国情趣あふれるデザインである。誰かこのデザインでギター作ればいいのになあ、と見ながら思った。またペグの部分の細工もきれいだった。
五章は「工芸美の競演」で工芸品が並ぶ。
特に、これまた図説に載っている、「伎楽面 酔胡王」があった。
鼻が高く、イランの人のような顔で、酔っ払いを模している面が展示されていた。これもレプリカがある。こちらもレプリカの出来は良くなかった。本物の方が良いのである。なんというか、レプリカは酔いすぎだと思った。
六章は「宝物を守る」という内容だった。
ここでは聖武天皇があいようした「簫」がいかにして修復されていくかの映像など、保守作業について紹介されていた。以下は、帝国博物館の館長も務めた森鴎外の歌。
もしも、ご自身が歴史好きだったら、もしも、お子さんが歴史好きだったら、日本史の図説を片手に行ってみると面白いと思う。本物を見るというのはとても大事なのである。印象がずいぶん変わるよ。