お久しぶりです。
本当に忘れっぽくなったのでメモ代わりに。
- 1,最近の政治家の言葉
- 2,説明責任を果たして参りたいと思います。
- 3,LGBTは生産性がない。
- 4,政治家の言葉の裏側
- 5,敬語とは全く逆の表現
- 6,政治家の言葉のルーツ
- 7,恋愛や結婚が生産的だと思っている人とは思えない
1,最近の政治家の言葉
「ご説明させていただきます」という文言をニュースを見ているとよく聞く。主に政治家の発する言葉である。
二つ違和感がある。
一つ目は、「ご説明」の「ご」。つまり「御」である。
もちろん、敬語で、接頭語である。
重箱の隅をつついたらば、そういう用例があるのかもしれないが、通常、自分より目上の方に対して使う。天皇陛下のお車などと使う。
副社長:「ただいま、社長からご説明があったが・・・・・・」
などと使う。
つまり、目上の人の持ち物や、行為に対して使う。
一国の総理大臣が、国民に説明するときにつけるのはなんとも違和感がある。
二つ目は「させていただく」である。
何度聞いても、「別に許可してないし、許可求めてないでしょ、私に」
と内心思ってしまう。もしかすると、違う意味があるのかと調べてみると、
やっぱりあったね。こういう解説が。
「(お・ご)......(さ)せていただく」といった敬語の形式は,基本的には,自分側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。(上記サイトより引用)
という方針が政府からあるようだ。
自らが破ってしまうとは。
ただ、サイト内で正しい使用法として、「はなはだ僭越ながら、ご挨拶をさせていただきます」が正しいとしているが、おそらくまったくの正解ではない。「はなはだ僭越ながら、挨拶いたします」、もしくは「ご挨拶申し上げます」で良いのだと思う。「はなはだ」と「僭越」が強い言葉なので、それほど「させていただく」は使わなくてもいい。
だいたい、この言葉から想像する挨拶者の態度はどんなものだろう。ふんぞり返っていて、「僭越だ」とは思っていない感じがしない?
2,説明責任を果たして参りたいと思います。
これにも違和感がある。
なに颯爽と言ってんだよ、てめえらの失態なのに。
と思ってしまう。
3,LGBTは生産性がない。
この言葉はほとんどの人が間違って受け取っている。(擁護の内容は続かないのでご安心を)
すべての恋愛と家庭生活は消費ばかりで生産はない。
食事に行って、イルミネーションを見て、ラブホに行って、なんて行為に生産などないのである。(個人的には、ラブホの方がいろんな機能があって楽しいのだが、不潔だと言われれば反論できない)
そんな二人が結婚式を挙げて(挙げなくても良いけど)、マンションに住んで、子どもを産む(産まなくても良いけど)。そのなかにも生産はない。すべて消費だ。
消費体である家庭がないのは困るが、結婚しなくても家庭は存在するので、消費体としては有効だ。
人生において、「持ち家をもつこと」、「育児をすること」、「老後の資金」は三大消費だが、一つ目と三つ目は結婚と関わりがなく存在する。だから、おとしめなくても良いのである。
4,政治家の言葉の裏側
ここで終わってしまえば、ただの言葉尻を捉えて文句を言っていることになってしまう。ここからが本題だ。
ここでは引用として政治家を持ってきた。政治家は常に正解の言葉使いを模索する人々だ。だから、一人誰かが使った言葉をみなで融通し合うところがある。この一例が、「遺憾である」だろう。もともとは自らに起こったことに使ってもいい言葉なのに、どうしても他人行儀に聞こえてしまう。「遺憾である」が一時期大流行してしまった時期があった。どうしても他人行儀に聞こえ、「そんな意味だっけ」と確認したことがある。
5,敬語とは全く逆の表現
「ご説明させていただきます」はなんとなく、「この説明で納得していただく」という挑戦的なニュアンスがある気がする。総理大臣が説明しているのだから、「説明いたします」で丁寧さは十分だ。
過重に敬語表現を重ねるのは、「相手とトラブルになりたくない」という心理の現れだ。つまりは、「相手とトラブルにならないよう、一発で納得させる」という敬語とは真逆の挑戦的なニュアンスがある。過重な敬語表現には要注意だ。
6,政治家の言葉のルーツ
ここまで書いていて、はたと気づいた。彼らの言葉は少しだけ任侠の匂いがする。「お命ちょうだいいたします」という言葉の使い方だ。丁寧で許可を取っているようで、有無を言わさない強引さがある。相手の命に敬意を払っているのなら取ってはいけない。やはり政治と反社会的勢力のつながりは切れようがないのだろう。
この「ご説明させていただく」を聞く度に、梶芽衣子が小刀を逆手にもってにらみを利かせているところが頭に浮かぶのである。
7,恋愛や結婚が生産的だと思っている人とは思えない
政治家は同じ言葉を集団で運用するので、言葉のニュアンスを変更することが多い。だが、最後の例はおそらく流布しないだろう。
「LGBTには生産性がない」の裏側には何があるのだろう。
少なくともこれを言いだした杉田水脈にとっては、恋愛をするのも、結婚生活を送るのも、なにがしかの生産が行われていると思っているのだろう。(なんど変換しても『凄惨』になってしまうのはどうしてだろう)子どもの人生は子どものだ。子どもが生まれることを生産だと思っている(自分にとって経済的にプラスの行為だと思っている)というのは、母親のエゴだ。それは母親の手柄でもなんでもない、とまで言い切ってしまうと母親の皆さんを傷つけるのだろうか。
とあるブロガーさんは子どもの部活の送り迎えで、近隣の体育館を回って車を走らせる日々だそうだ。だが、それで子どもがなにがしかの結果を出しても、自分の功績などとは思わないだろう。そんなせこい人ではない。いや思っていても、出さないだろう。うん。たぶん。面白かったら言い出しそうだけど。
そのブロガーさんを例に出さずとも、子どもを持つのは経済的にはマイナスだろう。もちろん、それだけではない豊かさが子育てにあることは間違いない。
恋愛でもそうだ。要するにデートなどでおごってもらいっぱなしなのだろう。それはいい。男が出したいというのならその男の自由だ。特におじさんは出したくなるものだ。しかし、おごってもらう側がそれに対してあまりにも当たり前だと思いすぎている、というのは論外だ。当たり前を超えて、それが生産活動だと思っているのは、ちょっと怖い。そういう人なのだろうか。私はそうは思いませんけどね!
言葉で嘘はいくらでもつける。しかし、その言葉を吐き出させたその人の背景にあるものはごまかしきれないものなのである。
※戦ってんだ・・・・・・。タイトルを見たときに笑ってしまった。逆に読んでみようかな。Kindleで。