今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

いじめの加害者の扱いーー十分日記315

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mainichi.jp

 

まずは、痛ましいジェノサイドの被害に遭われた親子のご冥福を祈りたい。

さっきテレビで報道を見ていて感じたことを書きたい。

 

経緯を簡単に書くと、

小一の三学期にイジメが始まる

小二の五月に両親に相談

ここから被害者の女児は校長室登校になる

小二の七月か八月に加害者の保護者を交えて面談

(このときにメモ書きを渡す)

小二の一一月に母子心中

ざっと書くと、こんな感じだと思う。

メモ書きを渡したことをマスコミは問題としているが、ちょっと的外れだ。その理由はあとで書く。

 

表を見ていて気づくことがいくつかあるだろう。

その最大の謎は、「どうしていじめの被害者が隔離されているのだろう」というところにつきるのではないか。

ちょっといじわるな見方をすれば、学校全体が「いじめられた被害者が不登校になるか、転校するのを待っている」ようにも見える。

どうしていじめを受けた方が、解決をしなければならないのか。

この経緯から「イジメ」の文言を外したらどういう印象を受けるか。この被害女児が、何か悪いことをしてしまって、隔離されているように見えるだろう。そして、その悪いことを苦にして母親と死んでしまったようにも見える。

 

我々は、いじめられた方をいかに救うかというところしか考えずにいじめの問題に対処しようとしている。もちろん、それも大切だ。だが、同時に「いじめの加害者をどう扱うか」をも考え、それをきちんとマニュアル化すべきなのではないか。

 

一般的な? 大人のする犯罪を例に取ると、今の状態は「酔っ払いが駅のホームで駅員に暴行を働く」、「駅員を隔離し、駅員に解決をさせる」という対処法になってしまっている。隔離されるべきは「酔っ払い」の方だ。「酔っ払い」を隔離して、事情聴取などの捜査をするのが筋だ。

いじめの件に話を戻すと、いじめの加害者をまずクラスから隔離すべきだろう。もう、有無を言わさず、まずは隔離する。そこからまずスタートだろう。この前に、しかるべき手続きとして「いじめを証明する」などを入れるのはよろしくない。逆にいじめが激化したりするからだ。

そこで事情を聞いたりする。もしもやってないということが立証されれば、心の傷になってしまう可能性はある。しかし、まずはいじめが起こっているという前提で動くべきなのだろう。悲劇を防ぐためには。

そして、この隔離には二次的な効用がある。それは他の生徒が話しやすくなるからだ。結論として、「イジメが証明されれば、二度とこのクラス、学校に戻ることはない」ということを周知すれば、「次は自分かも」と恐れずに済む。逆に「それは被害者の考えすぎかも」という意見も出るかもしれない。どちらにせよ、意見が出やすくなるのは間違いないだろう。

いじめが立証されれば、その児童は申し訳ないが、強制転校をする。集団であれば、ばらして強制転校にする。ものすごい田舎の場合、隣の学校まで、ものすごい距離があるかもしれない。だが、この際いたしかたない。この状態で加害者をクラスに戻すのは一番の愚策である。保護者の負担を考えると忍びないが、自分の子どもがやってしまったことだ。受け入れてもらうしかない。転校後はカウンセリングを受けることを義務化する。これらを義務を不履行にしている保護者は、ネグレクトとして、逮捕・処分することまで織り込んだら良いだろう。

 

一番大事なのは、今書いたことがきちんとマニュアル化されていること。

まるで被害者が転校や不登校になるのを待っているように見えてしまうのは、被害者対策にしてもマニュアルがきちんとないからだ。その学校で臨機応変になんとかすべし、でもいいのであるが、「臨機応変」の範囲が広すぎるのである。

 

次に大切なのはその対応を教師にやらせないこと。

教育委員会に、裁定の組織を立ち上げて、そこが加害者の隔離、調査などをするようにすべきだろう。担任や校長を蚊帳の外に置かないから、加害者・被害者の双方の保護者の顔色を見てしまうのである。

メモ書きを渡したのは、これが理由だ。

 

いじめが発生したことで教師の評価を下げないこと。

なぜいじめをなあなあで済まそうとするのかというと、それが教師の評価に繋がるからだ。いじめが起きにくい教室の空気を教師が作るというのは、不可能に近い。過去、厳しい教師(よくひっぱたかれた)にも、話を聞いてくれる教師にも、担任として両方に教わったことがある。高校ではあまりクラスに干渉しない教師がほとんどであった。すべてにおいて、いじめは発生していた。だから、いじめが起きないクラスというのはすべて生徒の問題である。

教師の評価の基準にしないことで、教室から切り離して対処することが大切だ。そして、きちんと情報提供などをせず、裁定に持ち込まないなど、対策で怠慢をした場合、評価を下げるようにすべきである。

 

なんにせよ、今回のジェノサイドでは学校側が、まさかここまで事態が悪化するとは思わないと思っていた節がある。おそらく三年生を校長室登校で乗り切って、四年生になるときにクラス替えを強行しようと考えていたのだと思う。それが甘かった。

企業でも大企業では第三者組織を立ち上げて、セクハラやパワハラを解決している。学校程度の小規模では、各校に作るのは厳しいだろう。だから、教育委員会などの組織に、各県の学校規模に応じて第三者の裁定組織を作るべきだ。

今回は私案であるが、加害者をどう扱うかも、社会が考えるべき時期に来ているのである。