今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

コロナ騒動には「外部」がないのが辛いーー十分日記

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日々考えたことをつらつら書くのも日記であるということで、最近思ったことを書きます。

今回のcovid-19の騒動で一番辛いのは、「外部」の無さでしょう。

 

もうずいぶん前、80年代にアメリカに旅行した司馬遼太郎は、著書「アメリカ素描」で、アメリカをこのような文で表現しました。

『あそこに行けばなんとかなる』

そうアメリカは最後の希望であると表現したのです。

どのような文化、国に属していても、アメリカはそういう場所だと言ったのです。

 

それは国境や文化の壁がしっかりあるというのが前提ですよね。

だから、新興国であり、誰もを受け入れ、そしてどこからも外部であるというアメリカが希望になるのです。

 

今のcovid-19の騒動で一番はっきりしたのは、外部が消失したということです。どこにも逃げ場がないのです。

 

ほんのひと月ちょっと前、ダイアモンド・プリンセス号が入港し、多数のcovid-19の感染者を出しました。そのときに、神戸の感染医岩田先生がyoutubeで動画を投稿し話題になりました。

その動画では、岩田先生がコントロールを船の外部に移すべし、と主張しました。

「船内では安全なところと危険なところの区分が不明瞭で、全部が病原体に汚染されている可能性がある」

とのことでした。

ですが、今考えると、安全なところと危険なところの区分けが船の外にもあったかどうか微妙です。

安全には二つの要件があります。それは「場所」と「人」です。

「場所」は除染すれば良いので安全の確保ができます。しかし、「人」は誰がなっているのかわかりません。安全な「外部」から入ってきた人ならば、「人」の安全は担保されます。しかし、全員が危険な「内部」にいた場合、誰が安全な「人」になるかは保障できないのです。

ただ、これで岩田先生が責められるいわれはないです。だって、知らなかったんですから。

 

「外部」があれば、そこに向かって逃げれば良いのです。しかし、なければ逃げようがありません。東京では、別荘地に向かって人々が逃げているようですが、その地域だって発生している場合があり、みんながそこに行けば「リトルトーキョー」ができるだけです。意味がありません。

一両日中に緊急事態宣言が出そうですな。

といっても、インドア派な私にとっては、それほど影響もないですね。家の中で楽しむすべはたくさん知っています。それをすればいいのですから。

仕事人間な人は大変ですよね。

これを機会に、なにか勉強すれば良いと思いますよ。

 

なるべく、電車に乗らない生活を心がけてきましたが、四月終わりに乗らなければならないのがきついです。

Amazonでマスクが出品されていますが、買って良いのかわかりません。誰か教えて。ここの検索では出ないなあ。止めた方が良いんだろうか。