次の日の日記をどのようなものにするか決めて、タイトルに書き込むことがあります。こうしておくと、次に何を書くのか分かりやすいです。
今日のお題は「民間部門の弱さ、マスク」と書いてあります。
日本はバブル崩壊(90年)からこのかた、ずっと個人への税金は増税し続けています。それに反して、企業への法人税への優遇は続いています。09年のリーマンショックを受けて、内部留保も増える様になってきました。
ただ内部留保は、資金の流動性を確保するためのものです。つまり、何かあったときに営業用の資金が滞るのを防ぐための用意です。消火用の用水地みたいなものです。
これが数十年続いています。いわば、不況用の緊急体制がずっと続いているのです。
何十年もの緊急体制が企業や政府に資金を環流、滞留させ続けました。それが民間、特に家庭や個人の体力を奪ってしまいました。
以下は以前書いたかもしれません。大学入試の英語の民間試験活用を進めようとしたときに、「離島などの高校生が不利になる」、不平等だ、という理由から撤回されることにんまりました。このとき、地方の篤志家が「ワシが金を払う」と言い出すかと思ったら、誰もそんな声を上げませんでした。
もちろん、大学に行くと言うことが贅沢だという感覚が、特に田舎では強いのかもしれません。しかし、「出す金がない」というのも事実なのではないでしょうか。
もう一つ、田舎の環境を変えたのが、国際化です。covid-19がこれだけ世界中に流行したのも、国際化です。そもそも田舎が担っていた仕事も、国際化によって他の発展途上国が奪ってしまいました。これも田舎から篤志家をなくした理由です。
マスクもそうです。
本来なら日本の地方が担っていた仕事が中国などに行ってしまいました。
「金がない」、「技術が移転してしまった」この二つが、マスクの国内生産を奪ってしまいました。
正直、二月末のcovid-19の流行時から、「今マスクつくったら、ボロ儲けじゃないか」と思っていました。けれども、どの企業も技術の転用によってマスクの生産に乗り出しませんでした。
「だって、作っても売れないかもしれないじゃないか」
と二月時点(中国大流行時)に考えている経営者がいたら、本当に経営者の才覚がないので、辞任した方が良いです。どう考えても売れます。逆に車作った方が売れないでしょう。トヨタって、繊維業から出たんですけどね。
だからどうしてだろうと思っていたのですが、もしかすると「やらない」のではなくて、「できない」のではないか。どう思いました。
金がなく、技術がなく、ほぼ安全な橋でも渡れない。
それがマスク国内生産に踏み切れない理由なのではないかと。
今日になって、政府が「マスク作れや」とハッパをかけるようになりました。
これには世界的な論調の変化があると思います。
もともと、国際的に、というより西洋では、「マスク不要論」が根強かったのです。
マスクなんて使ったって意味がない、という論調でした。アジアでは日本でも韓国でも、台湾でも使う習慣がありました。これは気候と病原菌の関係があると思いますが、ここでは起きます。
西洋では、「一般人が使用しても意味がなく、医療関係者や基礎疾患を有するものが使用すると意味がある」という不可思議な話がありました。それが変化してきているのです。
WHOは未だに妙ちきりんなことを言っています。
「マスクを一般の人々が着用することで、医療従事者向けの供給不足が悪化する事態を懸念している」
「マスクだけではパンデミック(世界的大流行)を食い止めることはできない」
そりゃそうですけど。
だいたい一般人用の不敷布マスクと医療関係者用って違うんじゃなかったっけ。日本でも医療関係者用のマスクをして外出している人はほぼ見ません。普通の不敷布マスクです。
アメリカがドイツのマスクを強奪した、とかもう噴飯物の話も出てきています。
こうなってはもう自分のマスクは自分で作るしかありません。
前回も書きましたが、今回のcovid-19の話では「外部」がありません。外部からの援助が期待できないのです。
可能ならば、自分たちでマスクを作るのが理想的です。
もちろん、金と技術があり、経営者が年寄りで思考停止になっていなければ、の話ですが。
これで作る様になったとすれば、企業経営者がチキンで、ただの守銭奴だったということでしょうね。