今日の個人的なお題は「東日本大震災のときほど焦りがない」です。
もう、9年前になりますか。
東日本大震災が発生したのは。
あのときは、地震、津波、原発のトリプル・ダウン(小池都知事風)がございまして、関係のないはずの首都圏でも、水や食料が買い占められました。
大災害が発生して初めて知る事もありました。
千葉県の北西部に住んでいるのですが、この辺りは江戸川に挟まれて東京に隣接します。江戸川があるために、物資などは、橋を使って輸送されてきます。しかし、橋の数が少ないのです。もともと、江戸時代はこの川は渡しでつながっていました。幕府の方針で、ここを防衛線として使っていたのです。だから、おいそれと渡れないように、橋を作りませんでした。その名残でしょうかね。
この物流の動脈と言っても過言ではない橋が、連日大渋滞に見舞われました。おかげで物資が不足してしまったのです。
そして、ショッキングな映像も繰り返されたことで、精神的にやられました。原発の果てのない事故、政府による情報隠蔽(元民主党政権)にも神経をすり減らされました。
しかし、一度この状態を経験しているからか、今回はそれほど精神的にはやられていません。
時々刻々と情報が変化するわけではないので、情報の摂取量も減らしました。一日、ネットやテレビのニュースに首っ引きになるのではなく、見る頻度を減らしました。
たしかに、物資は不足しているのですが、原因が明白です。人々の動きが読めます。
東日本大震災の時は、「どうして水がなくなるのか」と焦って情報収集を続けました。電気が来なくなり、給水車まででました。そのときよりは、ずいぶん楽です。
あのときは「不要不急の外出を避け」と震災時に言われたかどうか不明ですが、要するに余計なことをしないで、家にいれば良いだけですからね。
昨日の4月8日に、「緊急事態宣言」が発令されました。
テレビはお祭り騒ぎでした。
しかし、これも「のちのち、実質的には発令後の状態になるまで、ゆるゆると自粛要請が出され、「ほぼ発令後と変わらんだろ」という状態になって発動される、と読んでいたのでそれほど焦りはありません。
昨日もいつものようにスーパーに行きました。
スーパーによっては営業時間が大幅に短縮されるのには参りました。
そのスーパーは大混雑でした。並んでいる人を見ると、かごに買いためるためのお菓子が満載の人もいました。
お菓子の棚を見ると、スナック菓子がほとんどなくなっていました。
夫婦であとで話し合いました。
「あの人たちはこれまで何をしてきたんだろうね」
だって物資が不足するのはわかりきっています。過剰に買い溜める必要はありません。しかし、いつも使うものを少し多めに買っておきたいと思うのは人情でしょう。何もせずにいたというのは解せません。それともTwitterの連中の言うことを本当に真に受けていたのか。
東日本大震災の時もそうでした。
口では落ち着けと言っていても、本当にそれ通りの行動をしていたかは別問題です。現実社会では逆だったから混乱が起きたのです。
我々の後ろに並んだ、トレンチコートを着た会社帰りと見られる女性は、我々にぴったりくっついてきました。ソーシャルディスタンスなど知ったこっちゃない、といった具合でした。「そりゃ、コロナ騒ぎがなくても気持ち悪いよ」と思いました。
あとでカミさんに聞いてみると、やはり「怖かった」そうです。
「近いよ」と注意しようとも考えましたが、相手が「ソーシャルディスタンス」ということを知らなければ、注意しても「なにこのおっさん」で終わってしまいます。
分かるように、わざと大げさにタオルを口に当てました。
が、気づきませんでした。
仕方がないのでそのまま済ませました。一応、マスクをしていたのでよしとしました。
お菓子も、ソーシャルディスタンスの女性も、20代でした。お年寄りがネットを見ないことがよくネット上で問題になりますが、若い人がテレビを見ないことも、こういう一斉の発令があった場合には問題なのかもしれませんね。