お題「#おうち時間」
おうち時間が長いと、どうしてもいろんなことを考えてしまうものです。
昔から「女神転生」(’86)などいわゆる転生ものというのはジャンルとして存在しました。ですが、今ほどは流行っていなかったような気がします。女神転生では原作の第一巻の登場人物、白鷺弓子がイザナミの転生だというところに起因するようです。
今の小説では逆で、たいてい現代の登場人物が過去や異次元に転生するものが多いです。個人的に読んだものでおもしろかったのが、現代の人間が戦国時代の武田信虎に転生してしまうのですが、善政を敷いていく、というものでした。武田信虎は信玄の父親で、その険峻な性格から息子信玄に追放されてしまいます。
マンガやアニメというのは、思春期やプレ思春期の若者の心理状態の具現化だったりします。それが、作者が意図せず描写すると、ヒットします。まだ読んだことがないので詳述はしませんが、鬼滅の刃もあらすじや設定だけ読んでいると、この時期の若者の恐怖心理が具現化しているような気がします。もちろん、読めばもっとヒットの理由が出てくるのでしょうね。
以前から書いていた通り、我々の若い頃のマンガなどもその筋に沿って作られているものであったと思います。とにかく、みんな戦っているのです。
流行歌もそうでした。前回書いたZARDの「負けないで」は典型ですが、「逃げるな、戦え」というメッセージがあふれていました。
「もう戦わなくてもいい」「成長とか考えないで」「今のあなたのままでいて」「お父さん頑張ってる」とかいうメッセージはもっと下の世代がきっとうんざりするほどあびせかけられていたものでしょう。
転生ものというのは、今の若い人たちの心情をやはり描写しているものなのだと思います。
以前友人がこんなことを漏らしていたのを思い出します。
「今の若い連中って、社会が諸手を拡げて、やさしく自分たちを迎え入れてるって思ってない?」
社会が厳しいものであるというのは、我々が若い頃よりむしろ激化しているような気がします。昔から「読み・書き・そろばん」と言いますが、それが全部デジタルになり、下手すればAIもある程度使いこなせないと、いっぱしの社会人として扱われないようになっています。加えてコミュニケーション能力も高くないといけませんし、昔は高倉健的な不器用な自分というのを肯定してくれる土壌が残っていましたが、今は下手すれば、先輩にブログやSNSにさらし上げられて叩かれます。
しかし、です。
学生時代までは真逆だったのです。学生時代までは我々と同じ、アナログな世界で生きてきました。ICTが進んでいないのはご承知の通りです。文科省が煽るくらいです。
それが社会人になった途端、異常に厳しい世界にたたき落とされるのです。
そりゃ「転生した」って思うでしょうよね。