余暇をすべてpythonの勉強か、小説を書くか、ゲームをやるか、そのいずれかに捧げていて、ほとんどろくな外出をしていません。
だから、時間の経過が十代の頃の浪人をしていた頃と似ています。充実しすぎているのです。
不思議なもので、余計なことをしていないと、人生が痩せ細っていっている気がするものです。なんででしょう。たぶん、ダラダラしているときと比べて、プラスになっていることだらけなのですけどね。人間、遊ばなきゃいけないらしいです。
またCOVID-19の影響もあります。
もう半年以上、外食をしていません。そういう場で、様々な人がいて、そんな人々を観察することから、書くことが生まれるのですが。
みなさんがささやかながら外出をしていると聞いて、うらやましいと純粋に思います。人生をさぼってきて、車すらないのですから、もうどこにもいけません。家にいるしかないです。
余分なことがないと、こういうブログは当然書くことがなくなってしまいます。
映画もそれほど見ていないです。
ドラマの「ケイゾク」がBSでやっていて、それは見ました。
2000年代に入らんとする時期のドラマで、あの時期の冷ややかな世相を反映している作品でした。野口五郎、こええ。芸達者な人ですよね。
さて、オデッサ・ファイルですが、これは映画のタイトルです。(ああ、映画館も行っていない。こんなに美術館にも行かなかった夏は入院しまくっていた時期でもないな)
時は1960年代、フリーのジャーナリストであるペーター・ミラーは偶然に、とある老人の自殺現場に出くわします。老人の残した日記を、仲の良い刑事から譲り受け、それを丹念に読み返します。老人が強制収容所に戦中連れて行かれて、生還していたことを知ります。そして、その収容所の所長であったエドゥアルト・ロシュマンの存在と、戦犯である彼が逃亡していること、ドイツのフランクフルトでロシュマンの姿を見たことが日記に書かれています。ロシュマンは「屠殺人」と呼ばれるほどに残忍な方法で、ユダヤ人たちを虐殺します。所長を解任されるとき、同じドイツの大尉までも、理不尽な理由で銃殺します。
ペーターはその日記を読んだことで、ロシュマンを追うことに決めます。
オデッサはエジプトがイスラエルを攻撃するためのミサイル誘導装置を開発しようとしていたのです。開発を進めていたのが、偽名を使ったロシュマンです。
ペーターはオデッサに密偵に入ることに決めました。それを手助けしたのが、イスラエルの過激派でした。所作から全てをナチス式に教育され、潜入を成功させるのですが、ひょんな事から自分が偽物だとバレてしまいます。
そんな話でした。
オデッサ自体を壊滅させるというより、ペーターはロシュマンにこだわります。それが個人的な理由に収斂するのですが、それがなんだか寂しい気がします。ジャーナリストなのですから、オデッサの何かを暴いて欲しいという気がしました。
妻を巻き込み、自身は腕に焼き印まで押され、やっとのことで潜入しても、初歩的なミスでバレます。なんだろうな、という感じです。それは妻に電話する、という、まあなんというか、西洋人らしいミスですよね。その妻は、オデッサの監視を受けています。
さて、この作品、かなり元ナチスの人間の資料を集めて書かれた、小説が元になっています。書いたのは、フレデリック・フォーサイスです。彼の元には、脅迫状が多く届いたそうです。