今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

元旦新聞社説読み比べ、読売新聞のすばらしさーー十分日記

スポンサーリンク

毎年、元旦には紙の新聞を何紙か買って読み比べる。今年も近くのコンビニで買った。どこも、新聞は余り気味だった。

たぶん、初詣などのついでに買う人が多いのだと思うが、神社の人出も例年ほどではなかったので、余ったのだろう。

 

なぜか正月返上でやることがあったために、朝日新聞日経新聞、そして読売新聞の読み比べをする。ここのところ、毎日新聞は売り切れで買えなかった。さて、社説を中心に感想を書こうか。

 

朝日新聞

www.asahi.com

私はけっこう、ハフィントン・ポストやバズフィードの、外国系リベラル誌(サイト?)の記事に眉をひそめている。正義の美名のもとに人の頭を金属バット・フルスイングでぶん殴る攻撃性が、非常に西洋白人ぽくて嫌なのだ。

キリスト教でも確か、異教徒の住む町を殲滅したという内容が聖書にあったと思う。

日本人は正義の名の下に第二次世界大戦を引き起こし、未曾有の被害を出した。だから、反射的に「もしも彼らのいう正義が間違っていたら」と身構えてしまう。間違いで頭部をフルスイングで粉砕されてはかなわない。それに、間違いが許されれば、自分の頭が間違いで金属バッドでぶん殴られることも考えられる。

正義を信じて疑わない日本人は、第二次世界大戦についての見解がおかしいのだろう。

 

そんななか、朝日新聞の正義のあり方は非常に優しい。そういう意味では期待をしているのである。しかし、今回の内容はいかがだろうか。社説の内容は「環境問題」と「脱原発」である。足下にもっと苦しんでいる人がいるのに、この内容だ。朝日新聞はネット保守だけでなく、ネットリベラルにも嫌われているのだろうか。

コロナ解雇で大量に解雇者を出し、昨日の一月二日にも、一都三県(東京・神奈川・埼玉・千葉)が緊急事態宣言を発出を政府に依頼した。同時にやらなければならないのはわかるが、中心の話題は「環境問題」ではないだろう。

 

<読売新聞>

毎年の読売新聞の元旦社説は、「なんでもござれ」な内容になっていた。結論から言えば、今年もそうだ。

社説の半分近くを割いて、「コロナ対策をきちんとしろ、そして浮かび上がった問題を解決すべし」ということを書いている。例年の読売新聞だと、「経済対策とコロナ感染抑制を両立せよ」ということを書く。「緊縮財政と積極財政を同時やれ」とか頓珍漢なことを書いてしまう。しかし、今年の読売新聞はひと味違う。

「まず経済を救う前にまず人を救うべし」

「コロナで浮かび上がった、医療の脆弱性サプライチェーンの改革をせよ」

おおう。まともじゃねえか。

朝日新聞に勝ったぞ。

ここから急に海外情勢に行く。中国嫌いは今まで通り。

「コロナ禍の混乱と国際秩序の動揺。協調と競争。四つの要素が絡み合いながら同時進行する、複雑な時代である。状況に適応するためには自己改革が必要だ。しかし同時に、変化に引きずられて平和と安全、自由と民主主義など、国家の基本に関わる大切な価値を失うことがあってはならない。何を変え、何を守り抜くか。物事を見極める英知と実行する有樹が今問われている」(読売新聞一月一日社説より)

おおう。いいじゃない。

「『脱ガソリン車』の開発、デジタル技術の活用などは、いったん立ち遅れると高い外国製品の購入や特許料の支払いを強いられることになる。国民の負担は増え、国内産業は空洞化する。状況に追随するのではなく、進んで難題に立ち向かうべきだろう」(同上)

ふむ。そうだね。

ここから、人財流出を防ぐという内容になる。そうして国力を養うべきだという主張だ。

企業風土に「研究者などの人材を大切にしない風土」があるとし、要するに無用な首切りをして利益の帳尻を合わすような経営態度を止めなさい、と言う。もっともだ。このご時世、多くの人が思っていることだろう。売り上げが上がらないのは、トップが無能だからだ。このキホンが分かっていない経営者が実に多い。だから、まずは自分が辞めるべきである。

「デジタル化を行って行政などをスリム化せよ」

そのとおり。

「だが、デジタル教科書を全面的に採用するのは止めろ」

は?

「副教材などで使用するのはいいが、教科書自体はデジタル化するな」

なんで?

 

きっちりオチを作ってくれるのが読売新聞の良いところだ。今回は面白くなかったが、読売新聞の人生相談は書籍化する価値のあるコーナーで一番面白い。

 

日経新聞

www.nikkei.com

 

正直に書くと、月並みな意見を並べただけにすぎない社説だった。

そのなかでも、本音は見え隠れする。

要するに「早くワクチン作れよ」が言いたいことなのかもしれない。特に現段階の震源地である、欧米を中心にワクチンの普及は必須だろう。しかし、発展途上国にワクチンが行き渡るのはいつになるのか。特に五輪に間に合うのか。日本が受入れ体勢を整えても、外国の選手が来られなければ仕方がない。

いち早く決断することを書いている新聞はなかった。メディアも大出費をしたからだろう。出血を最小限にするためにはそれしかない気もするが。

 

文章のうまさではいつも朝日新聞が他紙を上回る。日経は受験生の小論文のような文章だった。

それよりも他ページにあった、働き方の変化の記事の方が面白かった。

今までの総合型のジョブから、特化型のジョブに変化する企業が増加しているみたいだ。たとえば、「アプリ開発」なら「アプリ開発」に特化した形で雇用される。

 

 昔我々が若い頃も同じ事が言われていた。だが、雇用されてから自分の希望する部署に配属されるかはわからなかった。みょうちきりんな精神論が跋扈していたのである。「習うより慣れろ」的な。だが、やはり向き不向きというのは存在するし、やりたくないことをやらすには今の若者の精神は脆弱すぎるのである。ちなみに、我々の若い頃もそのような脆弱さを持っている若者だった。そうではない若者は一九四五以前までさかのぼならければならないだろう。ものを言えぬ若者である。

七〇年代、八〇年代の若者が精神的に強ければ、あんなにヤンキーはいなかっただろう。

この向きが続いていけばいいと思う。だが、おそらくライバルとして外国の若者をもっと取り入れようという意図も見え隠れする。安楽な日本社会になるというのは、SDG’Sの方向に進んでだとしても、絵に描いた餅に違いないのかもしれない。