すごい結末だった。
つまるところ主人公の北条義時は死ぬのであるが、どのようにその決着をつけるかが問題であった。悲劇のうちに死ぬという筋書きは、大河ドラマでももちろん存在するが、えてして最後は大団円という形を取ることが多い。同じ三谷幸喜が脚本を書いた真田幸村が主人公の「真田丸」の結末も、徳川家康の本陣に突っ込んだ真田幸村は、自刃して果てて話は終わる。これが真実なので仕方がないのであるが、テイストとしては徳川家康に一矢むくいて死ぬということになっていて、悲劇であるが、後味は悪くなかった。
今回の場合、大悲劇であるこの話をどう落着させるかということに、みんな興味を持っていたわけだが、意外な結末になったと皆感じているらしい。SNSの反応などを見ているとそんな感じだ。
しかし本当にこれは意外な結末であったかというとそうでもない気もする。この物語が始まった時から、話の骨格としては従来の平家物語や、吉川英治が描いた「新・平家物語」と大筋の話の展開は同じだと感じていた。両作品は「諸行無常」と「輪廻」をテーマにしているのだが、三谷版「鎌倉殿の13人」も、この二つをテーマにしていると初期の段階では気づいていた。ここで書いた「輪廻」は「転生」という意味ではなく、「繰り返す」という意味だ。
三谷版平家物語「鎌倉殿の13人」でも、組織を保つために、冷酷なことをしなければならないという「業」が所を変えて、繰り返していく「輪廻」はしっかりと描かれていた。平清盛が持っていたこの業を、源義経が引き継ぐ。義経はこののちも誰もやったことない悪事を働く。それは今上天皇を追い詰め殺したということだ。さすがの信長もここまでの悪事を働いてはいない。
その業を一身に受け止めてしまったのが源頼朝である。頼朝は平氏討伐後、反乱の疑いのある家臣を討ち、兄弟にまで手をかける。
頼朝死後にこの業を受け取ったのが、北条義時であり、北条政子であった。
義時は、頼朝の叔斉に手を貸し、頼朝の死後も疑わしき御家人を次々と誅殺する。そして、承久の乱の発端を作っていく。しかし、あの有名な北条政子の演説によって、承久の乱以降、その「業」を北条政子に引き継ぐ。そして、義時は役目を終えて死んでいく。
特に最後に業を背負うであろう人間がどのような所業を起こすのか、それが見どころであったが、まさかの結末はそういう形で描かれなければならない。
月曜日に書き始めたこの記事だが、もう木曜日になったのでネタバレを書いても良いだろう。北条政子が義時の死因を作る。しかも、そのまま大河終了。この結末は・・・・・・。
そう三谷幸喜のドラマ「振り返れば奴がいる」の最後と同じだった。この時に織田裕二も刺されて終わる。
最後、北条政子と北条義時のシーンに入ったときに、思わず時計を見てしまった。どう考えても大団円にはならないタイミングだった。
しかし、最後に平家物語を通して描かれていた業を背負った北条政子が取るべき行動は、これしかなかったと言える結末。考えてみると、これしかないという最後でした。
本当は「振り返れば奴がいる」ではなく、「警部補古畑任三郎」の設定になるのだと思っていた。謎の死を遂げる北条義時。その死の真相を、北条泰時が暴いていくという流れになるのだと妄想していた。そうなっても面白かったのに。