今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

「第七回 短編小説の集い」に参加しました。未来への選択の物語。

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novelcluster.hatenablog.jp

 まさりんです。

 今回も「短編小説の集い」に参加します。

 今回は欲張りすぎました。いつもながら遅くなって、部長スイマセン。よろしくお願いします。明日と明後日あたりはゆっくりしましょう。

 

 

 

「選択」

 母の実家の裏口には、小さな通用口がある。黒くペンキで塗られた唐草模様がほどこされた鉄製の戸だった。その入り口脇にはハウスがあり、苗がそのなかで育てられていた。苗は幅五〇センチ、長さ二〇センチ、壁の高さが数センチの灰色の箱にぎっしりと入っていた。箱の下には丸い穴が無数に空いている。これは水をかけたときに余分な水分が抜けるように、またひげ根が下に出るようにするためだ。ハウスのなかは三〇度を超えていた。

 ハウスから苗箱を通用口脇に止めた手押車に運ぶ。設計ミスか、他の農家のように苗箱を軽トラで一気に運べない。手押車は土砂を運ぶ一輪車の、皿の部分を外したものだ。四枚を乗せた。持ち上げるときに慎重にしないと転倒する。この辺りの集落の鎮守様の小さな社の前を進む。鎮守様は森の中にあり薄暗い。通るときなぜか敬虔な気持ちになる。ぬかるんだ土である上に木の太い根が飛び出しているので、タイヤを取られないように慎重に進む。やがて明るい細道に入る。細道の脇には比較的新しく入居した人たちの家が並ぶ。細道は車一台分の幅の道路へと続く。道の前には三枚の田が並ぶ。左に曲がると農業用水の土手に道は続く。右に曲がり、二枚目の田が目的の田だ。

 苗を下ろすときに田の前を流れる細い用水路で苗箱を水に浸す。水気を与えるためだ。以前蛭が出ると聞いたがかつて見たことがない。田のなかでは叔父が田植機を動かしている。ちょうど往復してきたところで、ボクが持ってきた苗を二枚分補充する。田のなかを移動するのは難儀だ。ちょうど補充しやすい位置を予測し、田の近くに苗箱を置く。置く直前、補充するときに外しやすいように土の壁に、箱の側面をぶつける。ちょうどお寺の鐘をつくイメージだ。こうしておくと下に飛び出した根が引っ込み、苗を箱から移動させやすくなる。空いた箱を洗車用のブラシを使い用水路で洗う。苗箱を四枚運んでおけば、数十分休憩できる。

 田んぼというのはきわめて日当たりが良い。木陰にある田んぼなど存在しない。畦に座っていると、植えられた短い苗の葉を風が揺らす。初夏の陽気が肌を焦がしている。米など食料面で実家に大変世話になっているのに、両親は全く手伝わない。それを補填するのが七割、また小遣い目当てが三割というのが高校の休日を割いて田植えを手伝う動機だ。

 毎年思う。案外こういう作業にボクは向いている。毎年同じように畦に座り、風や土の匂いを嗅ぎ、田植機の音、鳥のさえずりを聞く。去年も同じであった。毎年それを畦で確認する。きっと来年も同じだろう。そんな人生も良い。ここには過去も未来もない。自然の永続性を見続ける人生。祖父に頼めばそれを手に入れられると思う。が、それは従姉のてまえ、言い出せない。権利の所有者は従姉である。いや役目といってもいい。もっとも従姉にその自覚は薄かったが。

 

 いつもの洋間でケンジとボクは二人で呑んでいた。人間いつだって将来のことを考えている。就職したからって、先のことを考えなくて良いわけではない。ケンジと二人でブランデーグラスを傾けながら話していた。つまみに揚げた空豆を食べ続けた。空豆の殻を外すべきか迷った。お互い弾む様な明るい話題でもなし。ソファに浅く座り、前屈みになり、次々と空豆を消費していった。思い出したように話をした。ボクは部屋を眺め回す。アップライトのピアノ、一〇時を指す四角い壁時計、脂やホコリでくすんだ白壁、赤い絨毯。日本の大工が考えたというような野暮ったさがあった。

 「オレ地域の歴史家を目指すようになっただろう」

 ケンジが語り始める。

 「色々な人に会うようになって、色々な人生があるって分かった。お前にはお前の道がある。もう好きに生きればいいんだよ」

 ボクはいつしか自分の将来のことを相談していたようだ。酔いが深くなり、無意識のうちに。もうアルコールが脳を占めていて、内容を覚えていない。ケンジも同じく酔っていて、髭の濃い顔が赤土のような色になっていた。どうせ明日には何も残っていない。本心を全部しゃべっちまおう、と決心して空豆を噛むと歯ぐきに激痛が走った。固い殻が刺さった。

 刺さった殻を外そうと格闘していると、洋間なのに引き戸が開き、ヤツが入ってきた。「酒臭い」と顔をしかめた。そのまま洋間を突っ切って台所に入った。暗がりに冷蔵庫の内部灯が拡がり、すぐに消えた。シホは二人がけのソファに座るケンジの横に座った。独りがけに座るボクと、ケンジの間に挟まった。「駆けつけ三杯」と呟いて、冷蔵庫から出した、キリンラガーの五〇〇を三缶呑み干した。「早く追いつきたいの」と若い“輩”みたいに言った。

 ケンジに半身をもたれかけさせて、シホが「で、なんの話」と聞いた。ケンジはきっちりボクらの話を覚えていて、それを伝えた。シホはボクを指さして、けたたましく笑った。愉快そうに、腹を抱えた。

 「アンタ、頭んなかウジわいてんじゃないの」

 見開いた目でボクを見る。小馬鹿にしたような顔と笑い声しやがって。目にはうっすら涙まで浮かべた。口の端には泡を立てていた。追いつくどころか、ボクらを追い越して、シホは空気を読み違えていた。ムカついたが、今を変える選択をする決心がついた。

 

 英語、中国語、韓国語、日本語と次々に走行中の注意をうながすアナウンスが流れる。モノレールの車窓には、浜松町の高層ビル群が流れる。田舎者のボクには高層ビルの景色は旅情を誘う珍しい景色だ。「ただいま、東京モノレールでは警戒警備を実施しております」と聞いて、ISILの蛮行が目に浮かんだ。モノレールが動き出すと、すぐに浜離宮が見えた。車内に視線を移す、前のシートには五〇絡みのサラリーマンの背中がある。キレイにそろえられた襟足には汗が滲んでいる。前日までと一転して、今日は初夏を思わせる陽気だ。ボクらは窓際の独りがけに座っていた。中央には二人がけの席が並んでいた。一番前には女性がシンガポールのガイドブックを眺めている。中吊り広告は、自治体などの観光案内が多い。こういうもののマーケティングってどうなってんだと、しばし考える。

 シホに指さされて笑われた翌日、酒が冷めると、途端に決心が鈍った。冷静になるとあまりに無謀だからだ。酒と怒りにまかせた決断など脆いものだ。深い霧のなかへ、決心は埋没していった。

 羽田の国際線ターミナルまで停車せずに走るモノレールは快調に走る。外の景色はレインボーブリッジ、高層マンションが流れていく。やがて河口や海など、“水”の景色が増えていく。“水”の周囲には倉庫や工場が増え、クレーンも見える。だだっ広い産業道路がモノレールを真下や真上を貫く。逆側の窓には競艇場が流れていった。大井埠頭公園のあたりは緑が多く、ゴミゴミした都会の風景でなくなると旅情が一気に寂しさや不安だけになった。ボクは黒いギターケースを指で撫でた。これからはコイツだけが頼りだ。

 再び未来を変える決心をしたのは、つまらない理由だ。ある日、青山一丁目の交差点のあたりでゲリラ豪雨に祟られた。強烈な大粒の雨がアスファルトを叩いた。視界が不明瞭になり、交差点の向かいの交番が見えにくくなった。周りの人たちが商業ビルの軒先に駆け込む。ボクもならった。

 ボクの後から就職活動中の若者が駆け込んできた。手提げのバッグからハンカチを取り出し、背広を拭っていた。彼の濡れそぼった髪を見ていて、なぜか自分はこのままでいいのか、と感じた。分かっているのだ。結局、自分の人生が生ぬるい環境にいるのがたまらないだけなのだ。どこかへ行きたい、その欲求のみがボクを動かそうとしている。未来のために自分で下してきた選択の結果、今の自分がある。その結果がぬるま湯の環境だ。完全に満たされている。それが気に入らない。甘ったれたガキだ。

 目の前の若者のように自分の未来のために戦っている人間を見ると、いつからかそう感じるようになった。年を喰った証拠だろう。ぬるま湯だなんだって、勝手にしがらみを作っては動けないと自分に嘯いている。

 やがてモノレールは地下へ入っていった。なぜか希望はなかった。

 

 モノレールの自動改札を出て、右手に進むと国際線の搭乗手続きをするカウンターが並ぶ吹き抜けのフロアに出る。午前中だからか、乗客もまばらだ。右手にはA~Eと書かれた掲示板を屋根に乗せたカウンターが並ぶ。左手はF~Lだ。目当てはAのカウンターだが、少々手続きをするには時間が早かった。さらに進むとエスカレーターがあり上のフロアに行ける。エスカレーターに乗りながら各カウンターを見る。人はほとんどいない。二〇二〇年の東京オリンピックを契機に、また労働人口減少対策として、日本社会全体のオートメーション化が推進された。単純作業や案内業務などで人の姿を見ることが稀になった。工事現場など肉体労働の現場はもちろん、看護や介護など従来は人間が行うべきだと考えられていた作業もアンドロイドが代わった。きめ細かい作業もインプットされ、全てのアンドロイドはベテランと同じだけの判断力、コミュニケーション能力までそなえた。患者がわがままをいっても、に対処してくれるなど、人間以上の忍耐力を備えていた。特に日本製のアンドロイドは人型の先駆として、また日本人のメンタリティがインプットされた製品は世界的に評判が良かった。もちろん、そのアンドロイドを作っているのも最早アンドロイドだ。生産の現場にいる人間は、設計開発と管理をする人間、経営者と将来経営者になるであろう者だ。全人口の五%だ。学生時代にチャンスを逃せば、働き口はなかった。学生時分に知的労働に向かないと判断した人間は自己判断で新天地を目指さなければならなかった。学生時分に生身の教員と関わるのも上位五%の人間だけだ。義務教育が終了した段階に選抜される。中高一貫校に在籍した人間は、中学時代ゆっくりしてしまい選抜のときに不利になった。自然と中高一貫校は消滅した。今のボクはその九五%だ。新天地ではエネルギーの制約があり、アンドロイドをここと同じように持ち込めなかった。

 上階は二〇〇年以上前の江戸の町並み風に飾られていた。エスカレーター正面奥には、徳川家康の黄金の甲冑のレプリカが飾られていた。エスカレーターのすぐ脇には藤棚があり、下に毛氈の敷かれた椅子が置かれていた。反対側には老舗のお茶屋が甘味処を開いていた。鹿児島の新茶をすすめるアンドロイドが茶摘み娘の格好で立っていた。実際の人間とほぼ遜色のない人工皮膚だった。

 甲冑の前で写真を撮り、左に曲がる。「親分」とか「工事中」とか書かれたTシャツが店舗に並ぶ土産屋など外国人用の店舗と洋食屋、とんかつ屋、創作和食屋が並ぶ通りを行く。全体の雰囲気は江戸風に統一されている。土産物屋は売れていないだろう。利用客の傾向とずれている。さらに上の階に生き、展望デッキに進む。デッキでベンチに座ると、正面にはキャラクターがプリントされた飛行機がとまっている。前の滑走路から次々に飛行機が飛ぶ。

 手続き上、国際線のターミナルで搭乗手続きをして、昔B滑走路だったところを潰して作った発着場からリニアモーターカーに乗る。リニアはNASA直通だ。そして衛星軌道上のステーションへ、エレベーターで移動する。そこから月へ向かう。B滑走路には羽田から海中を走るリニアの巨大なチューブが備え付けられている。チューブのなかでは次々にリニアが徐行で出発するのが見える。ボクもアレに乗る。

 月には増加した世界人口の腹を満たすためのプランテーションがある。そこで農業に従事するのが、人々のひとつの生きる道だ。日本の人口はリニアが設置された二〇三〇年から急激に減少し、一億人以上いた往時の三分の一をまもなく切る。こんな状況でも政権与党は自民党だった。

 この空港に集まる人間は国際線だが、ほとんどの乗客がリニアを利用する日本人だ。その日本人が目の前のAの搭乗ゲートに集まっていた。他のゲートは閑散としている。列に並ぼうと歩き出すと、目の前に女性が立ちはだかった。目には涙を浮かべていた。

 なあじいちゃん。昔、話を聞いたっけな。じいちゃん、若い頃ギター一本でアメリカに行こうと思ったんだよな。羽田で女に止められたって。オレも同じだよ。人生、流されて選ばされるもんだよな。(四九八八文字)

 

 やはり場面を増やすのは限界がありますね。

追記:

あまりにも誤字がひどいのでアップ後に直しました。4月30日22時10分

 

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