今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

文章スケッチに参加します。テーマは「食」です。

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 一刻も早く寝たいまさりんです。

 ほぼ徹夜です。いや徹夜か。一昨日爆睡してしまったので、昨日眠れなかったのです。たぶん、お腹の調子が悪いという人はそういう人が多いと思うのですが、睡眠が安定しないのです。もしもそういう人がいたら、お腹の調子を疑ってみたらいいと思います。体内時計は腸にあるという噂も聞きますから。まあ、栄養学と医学に定説なし。常に変化していくので、これも変わるかもしれませんが。

 今回は文章スケッチに参加します。主観を外すのが難しかったです。もしかすると、「ガンガン入ってるじゃん」と思われるかもしれません。その場合、アドバイスよろしくお願いします。個人的には、食べているシーンに主観というか隠喩などを加えると、「孤独のグルメ」になってしまうのだと思います。味も客観的にこう感じるだろうという範囲に留めたつもりです。ただ、物質的な描写にとどまらず、店の概要? を描写してみたのが今回の試みです。

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

文章スケッチ「食」

 木の格子が挟まったガラスの引き戸を開ける。正面には木製で表面に何度も漆が塗られた台の上にレジスターが乗っている。会計のときにはレジ台の後ろの半畳ほどのスペースに店員が入る。スペースの奥の壁はウグイス色である。暖簾がかかり奥に続く入口が壁の左側半分にある。ウグイス色の壁には一辺二〇センチほど正方形の額がかかり、小さな雀の絵が入っている。

 レジ台の前から左に視線を移すと混雑時に客が待つ席がコの字にある。引き戸を開けたすぐ左脇には陳列棚があり、地元の名産品が置かれている。陳列棚の前には譜面台のようなものが立っていて、台には記名表がある。人数などを書き込んで、左奥の席で待つ。

 席は壁沿いに左から三脚の椅子、四人がけの濃い赤茶のソファ、同じ色の三人がけのソファが並ぶ。椅子には六、七人の男児、四人がけには父親、三人がけには母親と二、三歳の男の幼児が座っていた。ひと家族で席を全て占有していた。すぐに、そして次々に客は席に案内される。板張りの通路の右側には和風の中庭がある。全面ガラスの窓からそれが見える。窓に面して四人の椅子席が四組ある。

 通路の左側には上半分がガラスの仕切りがあり、また椅子席が九組ある。椅子席の外にはツツジが植えられ、ツツジの向こうには大通りがある。通りを行き交う人々の様子が大きな窓からよく見える。すべての席に客がいたが、一番入口から奥では、窓際の四人がけの席と通路側の窓際の席をくっつけて、八人がけの席にして息子夫婦、二人の息子、そして両家の祖父母という大人数が座っていた。

 通路をさらに進むと、奥には座敷席がある。待合席を占有していた家族は奥の座敷に通された。

 この店が入っている建物は奇妙な経緯を持っている。昔は有名な和食割烹の支店で、豆腐専門店であった。この辺りの世帯収入に比して、価格設定が高すぎたため、わずかなファンしか入らない店だった。

 この店が建てられたショッピングモール自体がバブルの頃にオープンしていて、この手の時勢との隔たりが随所に見られた。家庭用ゲームの普及がバブルの頃ですら大幅に進んでいたのに、ゲームセンターが三カ所もあり、一カ所は異常な広さのフロアで、大型ゲームやメダルゲームが大量に置かれていた。施設は休日でも閑散としていた。施設全体を貫く通路は、「客は勝手に増えるもの」という感覚で設計されたのか、客の導線を無視していた。なかにあった大型スーパーですら、休日以外は閑古鳥が鳴いていた。いつも退店の噂があった。

 他にもあった問題を施設の運営会社が一つ一つ解決していった。この建物もそうで、豆腐料理専門店が撤退したのち、居抜きで和食料理屋が入った。今度の店は地元で獲れる地魚や郷土料理を意識していた。価格は周辺の他の店より高いが、前の店よりはマシになった。だが、始めは「鳴かず飛ばず」であった。あまりに客が来なくて、誰も使用しないテーブルに一つずつ置かれている醤油の小瓶の入り口が詰まってしまい、店長が爪楊枝でほじらないと使えないこともあった。ただ、料理の味は良かった。味さえ知ってもらえばリピーターは来るはずだった。

 店長が替わった。もう何年前のことだろう。恰幅の良い少々身長の低い男から、身長も高くさわやかな店長になった。いつも七三で四角い銀縁の眼鏡をしていた。この店長の手腕か、店は思い切った作戦に出た。平日の昼間限定のバイキングスタイルにしたのだ。これに客は喰いついた。店の味を知った人々は、法事や、高齢の人がいる家族のお祝いなど、特別な集まりに店を使うようになった。中高年で子どもが独立したのだろう、少々経済的に余裕がある夫婦などが来店するようになった。

 確かに客の質は豆腐専門店のころに比べて落ちた。案外、小さな子どもが走り回ることはなかった。しかし、お祝いなどでやってきた親族の、若い夫婦の位置にある礼服の男が、周囲に気を遣って話す声などがかまびすしくなった。酒に酔って大きくなってしまうのだ。また、両親と娘で来店し、延々数十分間娘が会社の噂話や愚痴を一方的に話し、両親は黙って聞いていたこともあった。迷惑な客もたまに来るようになったが、経営的には成功である。

 

 注文した膳が運ばれる。「特選刺身天ぷら御膳」である。

 皿はA3くらいの漆塗りの長方形の盆の上に乗っている。左奥には直径二十センチほどの木桶がある。桶のなかには細かい氷が敷かれ、木の小さな箱に乗った笹の葉の上に、甘海老が二尾、中とろが三切れ、鰤が四切れ、それぞれの刺身が乗っている。手前には角鉢と丸鉢が載っている。角蜂は桃色の地に梅の花の模様が白く抜かれている。なかには酢で和えた海藻があり、アジの切り身が三切れ乗っていた。丸鉢にはワサビと紅蓼の薬味が入っている。

 桶の右隣には天皿がある。天皿には青色で笹の葉が描かれている。海老天、舞茸の天ぷら、獅子唐の天ぷら、南瓜の天ぷらが天皿に乗っている。木桶と天皿の手前には外が朱、内が黒く塗られた飯器、黒い汁椀がある。二つに挟まれるように、茶碗蒸し、香の物、切り干し大根の煮物、醤油皿がある。香の物の鉢は青い唐草模様が内側に描かれていて、柴漬けとたくあんが乗っている。切り干し大根の入った鉢は縁が波打っていて、波に合わせるように何重もの波線が描かれている。まるで花びらのようだ。天皿の前には天つゆの入った皿がある。

 まずはひっくり返さないよう慎重に味噌汁椀の蓋を開ける。一口飲もうと口元に運ぶ。磯の香りが鼻腔をくすぐる。地元産の海苔を細かく切ってあるものが具だ。口のなかを湿らせたら、次は切り干し大根を少量含む。薄味の醤油の味と、干されてコクの増した大根の味が口中に広がる。まだ食べないが、天つゆに大根おろしを解く。大根おろしは山なりに天皿の端に盛られていて、山の頂上はおろした生姜がまるで冠雪しているように乗っている。つゆのなかに山ごと放り込み、箸の先でほぐすと、水気を切るために絞られた大根が、観念したと天つゆのなかに広がっていく。醤油皿に蓼をぶち込む。薄口の醤油に赤い葉が鮮やかに落ち込む。

 刺身は、贅沢に中とろから取りかかる。ほどよい脂が口のなかの温度に負けて、ほろりと崩れる。おもむろに鰺を一切れ口に放り込む。青魚の皮のつるりとしていて冷たい感覚が舌をつく。中とろの脂が軽い舌触りならば、鰤はコクがあって重い脂である。これがハマチならば、若く華やかな味が広がるのだが、鰤は年長者の風格がある。鰺の下に敷かれた海藻をつまみ、口に放り込む。三杯酢の甘くて酸っぱい風味が口の中に広がる。甘海老に軽く醤油をつけて口の中に入れると、甘味が舌を占領する。

 ほどほど刺身を楽しんだあとは、天ぷらである。舞茸を軽く天つゆに浸す。あまり浸してしまうと、つゆを吸いすぎてしまう。口の中に半分ほど放り込む。椎茸ともしめじとも違う、渋みのある茸の味が広がる。残りを放り込んだあと、海老を汁につけて、一気にしっぽの根本まで噛みつく。衣の油が口の中を占有する。口のなかの油っ気をリセットすべく、飯器のなかの白米を放り込む。これで公平に料理を楽しむことができる。獅子唐のほのかな苦味を楽しむために天つゆに先をつけて、そのまま口に運ぶ。

 二つの席を使っている家族の元に、店長とベテランのパートさんと思われる女性店員の二人が、五号サイズと思われるバースデーケーキを運んでいった。上には花火が乗っている。ちなみに、ケーキのサイズは「号数×三センチ」で計算できる。運ばれたケーキはお祖母さんと思われる女性の前に置かれた。花火を外し、ろうそくに火を点けると隣にいる子どもが吹き消した。

 再び、刺身を口に入れる。中とろ、鰤、鰺を順繰りに平らげていく。味に飽きたころ、香の物を口に放り込む。味だけでなく歯ごたえも、気分転換になる。白米をかきこむ。三日月型に薄切りになっている南瓜天の甘味を楽しむ。余りの切り干し大根を片付ける。白米と味噌汁を平らげる。

 一息ついて、お茶を飲む。そしてゆっくりと茶碗蒸しの蓋を取る。具は銀杏と小さく丸まった海老だ。上には木の葉が乗っている。ゆっくりと茶碗蒸しを片付ける。

 お茶を飲み、一息をついてレジに向かう。会計を済ませると、店長がにこやかに「ありがとうございました」と言った。(三三六二文字)

 

 ながながとおつきあいくださりありがとうございました。

 

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