今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」
アベンジャーズ・シリーズを一番初めに見たのは、「アイアンマン」だ。これが実に面白かった。本当はマーベル(制作しているところ)シリーズなのだと思うのだが、すべては一連のシリーズになっているとも聞く。本当はどうだかわからない。とにかく、マーベルのアメコミものを一番初めに見たのはアイアンマンだ。
日本でも一時期流行った? のは、「復活の物語」だと思っている。いったん、なんらかの理由で凋落した者がもう一度復活してくる、というパターンだ。特に日本の芸能界でもそういうパターンが多かった。若手のころからエリートとして活躍するというのは平成の中盤くらいからはどうも流行らない。有吉弘行やさまぁ~ずが典型だろう。
アイアンマンもそういう物語だ。トニー・スタークという武器商をしている大富豪が、テロリストにとらわれることで改心するという話だ。テロリストには自分の会社の腹心が武器を横流ししていて、その武器を破壊するためにスーツを開発する。
アベンジャーズに参加しているヒーローたちは、そんな闇をどこかに抱えている。みんなのリーダーである(本当はこの概念は間違っているということは後述)キャプテンアメリカも、無敵の超人になったことで様々な葛藤が生じる。バッキ―との葛藤だ。
さて、今日5月5日にテレビで「エイジ・オブ・ウルトロン」をやるので、それに合わせて一作目と三作目を見た。いま新作「エンド・オブ・ウォー」が公開されているが、これは四作目だ。
一作目の冒頭の方で、アベンジャーズが集合するシーンがある。
そこで、キャプテンアメリカとトニー(アイアンマン)、ブルース(ハルク)、ソーなどが言い合いになる。誰も他人の言うことを聞かず、言いたいことを言い合っている。特にキャップとトニーが激しく言い合う。
キャプテン「スーツを着ろ、勝負しようじゃないか」
トニーはそれにあおられない。ソーに「ちっぽけな連中だ」と言われてしまう。
正確ではないが、そんなやりとりがある。
そこに敵が襲来する。ソーの弟ロキが敵方なのだが、それを奪還しようと攻めてくる。
飛んでいるステルスの飛行艇の壁が爆破される。敵が乗り込んでくる。
キャプテン「スーツを着ろ」
トニー「そうしよう」
といって、そこから連携して戦う。
つまり、チームとしての目的は忘れていないのである。彼らは非常に頭がいいので、そういうところは見失わない。
前回も書いたが、ちょっと「ティール組織」というのに興味があって読んでいる。アベンジャーズのチームの在り方というのが、このティールなのかその前のグリーンなのか、とにかく我々が見聞きしている発展的なチームの在り方に合致していて面白かった。
日本では上述のやりとりや言い合いにもならないだろう。そういうのは醜いと考えるからだ。それに意外と? 個人の感情が連携の足かせになり連携がとれないことが多い。それにそれを是とする風潮が強い。論議をすると、自分の人格を否定されたととる人間が多いのだ。
発展的だなと思うのが、このチームがとても自主性が強いからだ。
ロキは四次元キューブを使って、兵隊を呼び込み地球を占拠しようとしている。だが、アベンジャーズのあずかり知らないところで、地球側の上層部もこのキューブの威力を使って大量破壊兵器を作ろうとしている。そこには敵を防ぐ以上の政治的な意図があると見ていい。トニーやブルースはその匂いに反応する。
これにトニーやブルースは反対し、ニック(サミュエル・L・ジャクソン:シールドの長官)たちはそれに従おうとしている。キャップは中立な軍人で、とにかく上から与えられた任務を遂行しようとする。上述の言い争いはその差から起こる。みな目的は共有しているのだが、方法論で差が出ている。
チームは自主、自立的で、敵の襲来を最小で防ぎ、四次元キューブを大量破壊兵器に利用するのを防ぐ。
アベンジャーズは終始このような展開がなされていて面白い。
組織論としてアベンジャーズを再度見ると面白いのかもしれない。
みんな意識や考えはばらばらだが、最低限の目的は共有しあっている。その達成をすることの意義も承知している。そんな組織に世界中が向かおうとしているのである。
アベンジャーズはそれがうまく表現されていると感じた。
新作を見に行くか。
……とか言っているとすぐ終わっちゃうんだよね。
映画と欧米人、アニメと日本人の精神形成の関連性は強い。それは機会があればいずれ。