サッカーのユーロで観客300人超に新型ウィルス感染者が出たそうだ。
まあ、そりゃそうなるわな。
感染予防っていったって、完璧なものはできないのである。
「宴会やったら」というのも間違いではないが、それは政府と分科会が作った苦肉の策であったものが独り歩きしたものだ。
「特に宴会などでの不注意が感染につながります」→「皆で飲食さえしなければ大丈夫です」ということになってしまった。飲食を止めるのであれば、本来ならば電車やバスも止めるべきなのだろう。バスはアメリカではワクチン優先接種の職業であったらしい。ものすごくたくさんのバスの運転手が感染し、命を落としたそうだ。
さて、コロナの話はしだすとキリがないのでこれくらいにしよう。
しかしこれといって話ことがあるわけでもない。
不安の解消が目的で、この数日ブログを書いていたが、その初期目的は達成されそうだ。
目覚めた瞬間からの、焦燥感と不安は徐々になくなりつつある。
夜は不安の気配がまだ忍び寄る。
なんだろう。更年期かな。
ふわりと頭の鉢を覆うように不安が漂ってきて、「ブログ書こう」ということになる。
男にも更年期障害というのはあるらしい。
中年以降、男のうつ病が増加する。それもそこに原因があるのかもしれないね。
個人差があるだろうけど、私は体力がある方じゃないから、そういうのも早いのかもしれない。
はてなブログでお互いにフォローしあった人がだんだん更新しなくなっていく。
子育てや人生の岐路など様々な理由で時間が取れなくなったり、いつの間にかYouTuberになっている人もいる。もちろん、はてなに絶望した人もいるだろうし、単なるネタ切れの人もいるだろう。
「ああ、もうブログ書かないのかな」と思っていると、ふと更新があったりする。なるほど、そういう状況だったか、と得心する。みなブログを書いている状況じゃないのは間違いない。なかにはブログの移転をした人もいた。そうか移転もあるか、と得心した。
自分が取り残されている感覚を抱いてばっかりの人生だが、ネットでも置いてけぼりになっているようだ。
だが、自分の人生はこれしかないので、これをやるしかない。
よく「自己責任論」なんて出てくるが、本当に人生なんか選べるのか疑問だ。
自分の人生は一択であった気がする。何かに追い立てられて、「選択した」というより「選択させられた」という気分の方がずっと強い。
(始めは今日書きたくないな、と思っていたが、書き始めたら乗ってきた)
「自己責任」と責められる人は、案外「自分が生きてきた道は一択だった」と思っているのかもしれない。そうだよね、自分は人生を選択し、自由に生きてきた、なんて自分で思っている人は、絶対に周囲に迷惑かけっぱなしだと思うよ。けれど、人生なんて理不尽なもので、そういう人ほど上手く立ち回って出世していたりする。人生そんなもんだ。
だから、今追い詰められている人を「それは自己責任でしょ」と突き放す気にはなれないんだよね。
もちろん、助ける術もないんだけど。
ひろゆきやDAIGOみたいに、一般論を投げつけて「解決」って言えるほどの勇気はないよね。
せめて、そういう人が私にとっての文章を書くことのようなストレス発散の術が見つけられますように。