そろそろ小説を書くためのウォーミングアップ。
駅のエスカレーターに乗ろうと改札から進むとちょうど目当てのホームに電車が着いたらしく、大勢の人々が降りてきた。その人波と前をひょこひょこと頼りない足取りで杖をついて歩く中年男性に、行く手を阻まれ、なかなかエスカレーターに乗ることができなかった。
その杖をついている男性の後ろからエスカレーターにたどり着いたとき、ちょうどホームにいた電車が出発するところだった。
「急いだら間に合うのに」
という気分で、舌打ちをしそうになってしまった。
人混みと足の不自由な人を意のままに動かそうと思ってもそうはいかない。
雨の駅のせいだろう。
エスカレーターの褪色した青色ベルトの縁に点々と濡れた跡があった。ベルトの中央には人の手垢の堆積なのだろうか、肌色の筋が付いていた。
今日に限って、ベルトに触りたくなくて、ベルトに触らずにエスカレーターに立った。
エスカレーターの下には私と同じように電車を乗り過ごした客がたくさんいた。
雨の中を傘をさして歩いた。雨の中なのに、喉が渇いた。自販機で水を買って、ゴクゴクと飲む。耳の中で堀潤とウーマンラッシュアワーの村本が政治について語っているようで、内容のレベルは居酒屋のおじさんに近い。
飽きてしまって、ラジオを聞くのを止して、ぼうっと立っていた。
今日は鼻の通りが良い。歩きながら鼻歌を歌っていたが、高音まで綺麗に出る。
右手から電車がやって来る予定だ。線路は少し向こうで大きく蛇行している。線路は一日中降り続く秋雨に濡れている。ホームの蛍光灯に照らされて、白く霞んでいる。
まだ、「電車がきます」ということを知らせる表示はまだ点いておらず、手前にある到着時刻と行き先を示す掲示が変わって、後続の電車がどこを走っているかを知らせる表示になる。後続の電車は二駅前だ。
左手を見ると、男が虚ろな顔と足取りで歩いて来る。
メガネをかけた顔はシワだらけであった。五十代だろう。
ゆっくり歩いて近づいてきた男をよく見ると二十代の若者風でぞっとした。
あまりの疲れ切った虚ろさは不吉さを感じた。
男はゆっくりと目の前を過ぎていく。
声をかけた方がよい気がした。
ちょうど後続の電車が蛇行した線路を曲がって、ホームに入ってきた。
入ってきた電車はいつもよりも速いスピードでホームに入ってきている気がする。
もうすぐ男の目の前を過ぎて行く。
あ、飛び込む。
身体を抑えようと一歩踏み出した。
そこで男が蹴つまずいて、足元を見た。
ああ、大丈夫だ。
と思った。
それくらい蹴つまずく前の男は生気がなかった。