池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

地獄の始まり

エッセイ-経済 エッセイ 雑記

 ファミコン世代のまさりんです。

 

 あの記事は非常におもしろく読ませてもらいました。レトリックのおもしろさだった。だって、あの「ファミコン世代」は置換可能だからね。昔はあそこに「団塊世代」が入っていた。ブックマークに「ファミコン世代って言いたいだけじゃん」っていうのがあったけど、本質はそうだよね。きっと上司に怒られたのだろうな、と。

 本稿の目的ではないので詳しくは書かないが、簡単に反論を書く。

 要するにファミコンにしたって、北関東文化にしたって、子どももしくは若者であったファミコン世代が造ったものというより、さらに大人が造った文化なんだよね。だから、大衆文化をダメにしているというなら、上の世代に言って欲しいというのが本音だ。ちょこちょこ言い訳のように書いていたけど、大体その世代のクールな若者っていうのは大多数が喜ぶようなものには唾をはきかけたいと思っているはずだよ。

 90年代後半には小室哲哉の音楽なんかが流行っていたけど、やっぱり琴線に触れるものはなかったのだと思うよ。もちろん、クールな若者(という言い方がちょっとね)に私なんかは入れないでよ。小室哲哉ファミコン世代じゃないしね。

 このあたりは「ゆとり世代」という言われ方をしている世代なら分かるはずだけどね。よく言う、「自分で学習量を減らせって言ったわけじゃない」ってやつね。勉強にしたって、スポーツにしたって、優秀な人間にとっては学校の拘束時間が減少するっていうのはメリットがあるに決まってて、ゆとり世代って優秀な人間はとても優秀だよね。

 反論はここまで、世代には特徴があって、目安にはなるけど、そこにはまらないくらい優秀な人は存在するってことを念頭に置くべし。

 

 HDDレコーダーだけでなく、外付けの容量も足りなくなってきた。

 正月が終わって、映画を見る時間を捻出することができるようになってきたので、優先して映画を見るようにしている。正月があると、家族とのつきあいなどもあり、日常とは違った時間を過ごさなければならなくなる。外付けに溜まっている映画で、おもしろいものとそうでないものを仕分けて、削除しているのだ。

昨日は「金環食」という映画を見た。

 

 金環食とは金環日食のことだ。日本でも二〇一二年五月に観測され、朝から大騒ぎになっていたのを覚えている方も多かろう。

 この映画では、要するに華やかな金環日食の中、つまり闇の部分は腐敗しきっているのだ、ということらしい。政界の話だ。

 舞台は高度成長期。ダム建設に絡んだ汚職事件が発生する。バブル時代まで横行していたタイプの汚職だ。談合ではないが、「政官財の癒着構造」という言葉が毎日のように使われていた。

 首相は池田勇人がモデルだ。

 確実にダム建設を受注したい建設会社竹田建設と、それを発注していた電力会社が組む。発注額を高めに調整し、最低受注金額を電力会社が設定する。最低受注金額に達しない場合、その入札自体が無効になってしまう。もともとが高めに設定されているので、例の建設会社のみが落とせるようになっている。出来レースであった。

 ある日、ヤミ金融を営む石原のもとへ、内閣官房の西村がやってくる。官房長官星野の名刺を持参する。西村は、石原に内密に二億円を用立ててくれるように頼む。それを石原は断るが、星野の名刺を手に入れたことから、内閣になにかしらの動きがあることを察知し、新聞記者などをつかって、官房長官の周辺を洗い出す。

 

 というのが、物語の骨格である。

 竹田建設は総理である寺田派のお得意先。そうでない敵対勢力のお得意先の建設会社に受注したがっている電力会社の社長を追い落とす。こうして寺田派の汚職が完成する。

 この後汚職が露見しかける。が、人殺しまでして、秘密を守る。情報を持っている新聞記者は揉めている弟を使って殺害。内閣官房の西村も自殺に見せかけて殺す。要するにしっぽ切りをしたのだ。石原も最終的には脱税で捕まってしまう。

 

 最近、一月一日に放映された朝生で、竹中平蔵氏が「正社員をなくしてしまえ」という発言をし、いろいろな人間が反論をしていた。

 私が竹中氏の発言を聞いていて思ったことは、この発言はもう普通の正社員に聞かせたいメッセージではないのだろうということが一つだ。次に、現実問題として非正規雇用者の待遇を改善するということが可能かということだ。

 竹中氏が言いたいことは、「お宅の会社の人件費をもっと減らすことが可能ですよ」ということだろう。メッセージの発信先は企業経営者だ。ちなみに、安倍政権が今経団連のお歴々に対して、給料を上げることを打診していて、なんとなく「上げましょう」という流れになっているが、せっかく下がったコストを経営者が上げるはずがないのだ。そのしわ寄せがいずこへ行くかは、書く必要がないだろう。そうやって、グロスの人件費は増やさないことが予想される。

 グローバルな戦い(をしているつもりなのだろう。海外で売れている製品など本当にそれほど存在するのか)を制するためには、製品のコストをできるだけ下げたいという経営者の心理を考えたときに、コストが上がってしまう非正規雇用の待遇改善が本当に可能なのかと考えてしまう。もしも平等にしたいと思うのなら、正規雇用の人間の待遇を下げるしかないのではないか。あの議論のなかでも、同時にセイフティネットを、という話が出ていたが、無視されるだろう。

 

 一番声を上げなければいけない人たちの声というのは聞こえないもので、「正社員が恵まれているわけではない」という反論ブログはそこかしこにあった。「非正規雇用の待遇をこのように改善しましょう」という意見はあまりなかったように感じる。結局は我が身かわいさが不幸な人を救いたいという気持ちに勝るのであろう。

 

 

竹中平蔵氏「日本の正規労働ってのが世界の中で見て異常に保護されている」の大ウソ(井上伸) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 それとも、すでに正社員というのは身分であり、身分を維持するためにはその下の卑賤のものが必要だということなのだろうか。人は人を見下げることによって、自分を正当化するものらしい。

 

 なんにせよ、最後にしっぽ切りされてしまうのは、末端の人々である。

 だが、同時に「金環食」とは違い、それによってそれほど大きな益を得る人間がいないというのが、さらに悲劇を呼ぶのである。すべての人間が非正規雇用になったとき、人材派遣会社というのは今のまま成立するのか。みなハローワークなどを通じて、直接企業と契約を結ぶようになるのではないか。そうでないと、コストがかかりすぎるから。もしくは、リクルートのような大企業だけが生き残り、二番手三番手の人材派遣会社に登録している人材は質が低いと倦厭されたりして。どちらにせよ、人を食い物にして得た対価としては、竹中氏の提案に見合う利益はそれほどでもないのではないか。それが達成されたら、竹中氏はビルゲイツなみの富豪にでもなるのだろうか。無理だろう。

 全ての人間が、法人格である企業を維持するために人生を費やす。正社員だろうと、非正規社員だろうと、人を食い潰し、足を引っ張り合う、世の中がもうすぐそこに来ているのかもしれない。しかも誰も幸福になれないのだ。