今年も24時間テレビは絶賛放映中だろう。
見ていないからわからない。
ただ今年のマラソンランナーが誰だか当日発表になり、それを六時半から数時間引っ張ったために、途中のネットで批判されがちの「感動ポルノ」をみる羽目になった。かみさんがランナーを知りたがったのだ。
義足の十九歳の女性が槍ヶ岳に登るというのを何度もアピールし、その経緯を何度も流した。
線路に転落し、足を切断することになった。
義足になって悔しかったのは、バイトで遅くなったときに、母親の口から「普通じゃないんだから」という言葉を聞いたことだ。
病気等々を持っているとわかるかもしれないが。
こういうのを見てると、過去出会った同級生などが満面の笑顔で、
「ほら、お前もやってみろよ」
と囃し立ててくるのを想像してしまう。
「お前だってハンデがあるからできるだろ」
とも言われているような、そんな卑屈な気分になる。
ずっとこんな感じなの? とカミさんに聞いてしまった。
そのマラソンをバックアップするコーチは高齢で、しかも股関節を人工的なものに変えているので走れない。が、自分のため、そしてすい臓がんの妻のために走る。今も走っているだろうか。
見ているのを中断して、夕飯の買い物に行った。
帰ってくると盲目の女性がハナミズキをギターで弾き、一青窈と一緒に歌っていた。
七時過ぎだがまだ発表されていなかった。
見続けるのが辛かったので、ジョギングに行った。
大きな声でcase of BOΦWYを聴きながら走った。
よくよく考えたら、病気や障害を持っている人が可能性を得る機会は限られている。
それにおとなしく施設などで暮らしていても凶行に会ってしまい、それに同調する人間も現れる昨今、政治的な意味で、病気や障害を持っている人が表舞台に立つことは意味があるのではないか。
結局、社会に有用(間接的にもお金を動かすということ)だと思っていただかないと、弱者ゆえにプチっと潰される可能性が高い。
アピールすることも大切だろう。
だから病気などの障害を持つ人は、
「あれは健常者の方にプレゼンするか、何か行動を起こしたがっている障害を持つ人の背中を押すためのもので、そこに強制性はない」
と割り切り、冷静に見るべきなのだろう。所詮は出演者がギャラをもらうチャリティーなのだから。
ということで、健常者であの番組で涙を流したり、楽しんだ人は速やかに寄付せよ。