貧血太郎です。
いまだに、たまにふらふらして、頭がぼうとする次第です。
何かをブログで書こうと思っても、形にならないことってあるよね。今日はそのまま囲うと思うよ。
今テレビで台風の映像がたくさん流れています。
なくなった方もいらっしゃり、お見舞い申し上げます。
それにしても、いつからかというより明確に東日本大震災から、テレビで災害の映像を流されると、はしゃいでいるようにしか思えなくなった。なんだかお祭り気分が透けて見えるのである。
昔ニュース23で筑紫哲也が、「ジャーナリストが災害現場などで災害救助をしてはならない」ということを言っていたのを覚えている。要するに観察対象に手を加えると、対象が変化してしまうので中立公平な報道ができない、ということだったと思う。聞いたときには「あほか」の一語だけ思った。だって、観察という行為自体が、観察対象に変化を加えてしまうからだ。たぶん、大学入試でそんな文章を読んだ。つまり、大学生になるくらいならば、多くの人間がこの理屈を知っていることだ。
澤田恭一というカメラマンは、戦場から逃げるために必死に渡河する親子の写真を撮った。撮影後、きちんと救助のためにお菓子を与え、その写真でピューリッツァー賞を受賞後、親子の元に報告に行ったそうだ。
話にはつづきがあるものである。
先日例によって総武線で移動した。
貧血邦彦なので、目的の駅まで立っていられるか不安であった。
幸か不幸か貧血なしでも病人なので、空いていた優先席に座らせてもらった。普段はそうとう体調が悪くなければしない。もちろん、座っても譲るべき対象が来るまでである。そうしたら譲ろうと思った。みるみるうちに、自分の三人掛けの優先席も向かいの三人掛けも埋まった。錦糸町駅から前に高齢の方が立った。タイミングを逸ししてしまったので、次の両国で譲ろうと思った。
連結部に立っている女性が、必死におなかをさすっていた。
下痢か便秘かなと思ったが、よく見たら鞄に妊婦さんのマークが付いていた。
つまり、「譲れよ」というアピールをしていたのだ。
思わず大笑いしてしまいそうになった。
両国駅で減速するくらいで席を譲った。そのまま、隣の車両へ移動した。移動しながら、横目で「どうするんだろう」と観察した。
そのおなかさすり妊婦は、高齢者に「座っていいですか」と言って、つまり高齢者を蹴散らして優先席に座った。もしかすると、他の人間に「譲れよ」というアピールをしたのかもしれない。
話にはつづきがある。
もしもその優先席に座っている人間が全員内部障害を持つ人だったらどうするんだろう。(たぶんないけど)
もしその妊婦さんが体調が悪いのなら、高齢者に言うのではなくて、目の前で座っている人間に言えば良いのに。
その後、急に立ったり座ったりしたために、フラフラしたのは言うまでもない。