池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

豪徳寺紀行<2>

まさりんです。豪徳寺紀行<2>です。

 

 

 

 豪徳寺豪徳寺駅にはない。大げさに言えば。

 改札を出ると左手にまたもやチョコクロがあった。ますます東急とチョコクロの関連性に興味を持った。正面には大きな招き猫の像が立っていた。体長一メートルくらいか。後で気づくのだが、これは豪徳寺の招き猫とデザインが一緒であった。ただ、豪徳寺の招き猫と会いたければ世田谷線に乗って、山下から宮之阪に移動せねばならない。

豪徳寺駅の前の招き猫

 右手に小ぶりな商店街の入り口があり、気を魅かれながら世田谷線に向かおうとした。そのとき正面にデニーズがあった。前日にネットで調べたときには、そんなものは存在しなかったように思う。食べるものにこだわらないのであれば直接現地に赴いて、デニーズで昼食でもよかったと、つまらない後悔をした。

 世田谷線都電荒川線と同様、路面電車である。電車のホームというより、大きなバス停のような風情だ。ホームに入り、注意事項を見ると、「危険物・死体・動物・規定以上の大きさの物品」を持ち込めないとあり、「死体」の文字にゾクリとする。あまり動物を「死体」とは言わない。ただ、他人に礼儀を強要する、礼儀知らずの日本人が読む相手だ。この場合「ご遺体」と書くだろう。おそらく動物の死骸のことだろう。と要らぬ想像を巡らした。ともするうちに、人々にぬかれ、待ち順が後ろの方になってしまった。踏み切りが下り、三両ほどの長さの路面電車がホームに入ってきた。順々に乗車していく。その際、会計をする。たっぷりICカードをチャージしていたのでそれで支払った。車掌さんは20代の女性であった。ショートカットで丸顔の女性であった。

 宮の坂で降りる。周辺の地図を見ると神社仏閣が多くあるようだ。だから「宮」の坂かと得心がいった。

 停留所を出て、左に曲がると住宅地が拡がり、右に曲がると豪徳寺を始め、世田谷城、国士舘大学松陰神社などが、住宅地のなかに散在している。迷わず右に曲がる踏み切りを渡ると右手に「観音接骨院」、左手に「パソコン救急センター」の朽ちた看板があった。

 道は二車線でまっすぐ伸びていた。車通りはほとんどなかった。

 

 「大谿山豪徳寺」という大きな看板が見え、左に曲がると見事な松並木が出迎えてくれた。「地域風景資産」であるらしい。なぜか、「あ、うん」の口をした狛犬があしらってある白い門柱を瀬に並木をぬける。樹齢何年かはわからないが、トンネルのように参道に傾斜する松が続く。

 後ろから参拝客がぴったりとついてくるように感じた。「線香どうしたっけ」などと、墓参りの段取りを確認し合っていた。声の感じからすると三〇代の女性二人であった。大きな声ではなかったが、静寂な松並木のなかで二人の声が背中に張り付いているようだった。張り付いた声は、まるで朝のラッシュアワーの人の流れにいるように、後ろから私をせかしている。もちろん、毎年のように、いやもしかすると季節の度に来ていればそれは生活の変哲もない一部である。新鮮さを行く度に感じろ、などというムチャな感情を要求はしない。しかし、入り口に「地域風景資産」などと掲げている以上、観光客に配慮して欲しいものだ。後ろにつくのではなく足早に追い抜いて欲しかった。まあ単なるわがままであるのは承知していたので、抗議までは至らなかった。こちとらカメラなどで記録用に映像や画像も録っているのだ。そうせっつかれると面白いものを逃してしまう。そういう気分だった。

 正面から二組の参拝客がやってくる。二組とも初老(最近は五〇すぎか)の夫婦で、墓参りというより。ウォーキングの途中とう感じの服装だった。長時間外にいるために防寒をしっかりしていた。

 松並木のトンネルが終わると山門が現われる。山門の手前。左側に細道があり、アパートがあった。寺経営だろうか。

 山門は木造で左右に小門がある。屋根が立派であるが柱が細く「大丈夫」と尋きたくなる。

 門扉をくぐると丸く駆られた植え込みが左右に並ぶ石畳がある。石畳の果てに常香炉がある。石造りの巨大な香炉台だった。この石の種類は地学が苦手だった私にはわからない。黒い大理石だろうか。香炉の上には獅子が乗っていた。獅子は黄金の球にじゃれているのだが、猫なのだろうか。大きく首を左に回すと、巨大な石碑、石碑の向こうには三重の塔が見える。右手には鐘楼があった。香炉の前には外国から来た老夫婦がいた。

 香炉をさらに突っ切ると正面に木造の仏殿と呼ばれる建て物がある。覗いて見たが内部になにがあるのかはわからなかった。(wikipediaによると、仏殿には区の文化財となっている仏像が五体あり、仏殿とともに由緒あるものだった)

 とりあえず参拝をしようと、仏殿(大谿山と書かれた額があった)の向こうにある本堂へと向かった。仏殿の右手から回り込んでいく。寺に関連する建物の屋根は皆、アオミドリ色の瓦が使われている。が、本堂に向かうために砂利道を行くと、右手に普通の瓦を使っている民家が現われた。平屋が一棟、これは大人数が集まり、法要などで使えるようになっている。玄関先に雨除けのために「~会館」的な屋根が設えてある。奥には生活のための民家がある。

 やがて見えてくる本堂に向かう。本堂の石の階段を昇り、木の小窓を開けて入れる方式の賽銭箱を発見する。始め、本堂の正面にあるはずの賽銭箱がなくて戸惑ってしまった。実際にそこで賽銭を入れずに引き返す、お年寄りがいた。小窓を開けると、なかで送辞をしていた男性がこちらを見た。

 参拝を終え、階段を降りる。振り替えるアオミドリ色の屋根を支える柱は白く塗られている。欄干も白だ。が、窓枠は木の地の色だった。

 本堂を出ると左手にある例の会館的な建物には作務所も併設されていた。お気づきと思うが境内はもちろん、松の並木に至るまで、招き猫に関わるものは、ほぼ存在していなかった。作中にあるテキ屋もいない。が、作務所に売っているだろうと目星を付けて尋ねてみた。

 ガラス戸になっている軽い引き戸を開ける。昔の、いや今もそうかもしれないが、田舎の駅舎を思い出すづくりの作務所で、ここで祈祷の受付などもするらしい。カウンターがあって、ガラスケースのなかに並んだ招き猫が並んでいた。まめ猫と呼ばれるビニールケースに入った物から、大きい物だと数千円するものもあった。一千円のものを選んで購入した。招き猫やこの寺の由緒書きのあるものをさがしたのだが、そんな気の利いたものはなかった。代わりに「ひこにゃん」が訪れた時の写真があった。かのキャラは豪徳寺と招き猫から着想を得たそうな。

おみくじがあって引いた。“吉”であった。そこにある文言が良かったので記念撮影をした。

 

豪徳寺のおみくじ上

豪徳寺のおみくじ下

「この人は苦労おゝきうまれつきなれど、すこし小さい望をもちてしんぼうすればついには大望得るべし、神仏を念じてよし」

自らの来し方を思って、ちょっとうれしくなった。このおみくじを持って帰ろうとも思ったが、大吉じゃないので止した。おみくじを結ぶところを見た覚えがないので作務所で作業をしている女性にたずねた。とても物腰の柔らかい話し方で教えてくれた。

この女性が作中、テキ屋の兄さんを追い出そうと作務所から出てきた人物だ。作中とは逆で、とても優しそうな女性だった。

おみくじを所定の木に結びながら、途方に暮れた。あまりにも小説にするには材料が少なすぎる。もう、「猫に嫌われるシホ」と「招き猫を尋ねる」の両方を混ぜようというのは決めた。それにしても、決め手になるような風景がもう一つ欲しい。

招き猫は願いが叶ったときに奉納するのだそうだ。その奉納場所を見てみようと思った。仏殿の右側に小さな社があった。本堂と同じ仕組みの賽銭箱に賽銭を入れ、参拝をした。社左側に回り込むと奉納場所があった。無数の招き猫が並んでいた。それは美しかった。なぜか頭のなかで尺八が流れ、赤とピンクの大小の風車が回る画が頭のなかでうかんだ。ようはどこかで見た寂しげ光景が流れているのだ。なぜ招き猫を見た途端、寂しい気分になってしまったのかはわからない。

招き猫が並ぶ光景を、おそらくドイツ人のカメラマンが熱心に撮影していた。

 

豪徳寺まねき猫置き場1

豪徳寺まねき猫置き場2

豪徳寺まねき猫置き場3

 招き猫観音を作中に使うことを決め、これでなんとか形になると確信した。この段階で取材は終了なのであるが一応井伊家の墓所を見ておいた。入り口に日大の学徒出陣戦没者を祀る、「無名戦士の墓」の巨大な石碑があった。墓碑は写真で見たストーンヘンジのように見え、他の場所よりも空気が清澄である感じがした。もちろん、実際に空気が代わるはずもなく、受け手の問題であろうが。