今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

涙の卒業検定。俺ってボケ体質?

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 ワールドビジネスサテライトを見ながら、今後の株価の推移を、固唾を呑んで見守っているまさりんです。

 もちろん、株など持っていない。今の株が堅調であるとはなぜか信じられない。そんなに外国で物が売れているのか懐疑的になってしまうからだ。円安が下駄を履かせているだけかなとも思う。結局、円高対応の現場で作った物(つまりコストが安い)が、より割高で売れたというだけな気もする。つまり、円安で利益率が上がっているだけなのかなと。専門家ではないので、馬脚を現さないうちに議論を打ち切ろう。

 

 

 今回は、ゆっこさんのブログを見ていて思ったことを書こうと思う。

 

 


自動車の仮免許試験に一発合格!教習所や仮免許試験の話 - ミチクサダイアリー

 

 ゆっこさんはブログ中、運転免許の仮免試験について書いておられた。それを読んでいて、自身の免許取得のことを思い出してしまった。最後、学科試験を千葉県の運転試験センターで受けたのであるが、合格を示す電光掲示板が点ったとき、大学入試で合格したときくらい、いやそれ以上のガッツポーズをしてしまったのを思い出した。本当に嬉しかった。

 

 外国のことはわからない。日本人くらい免許を取得するのに苦労するのかどうか。もしかすると、アメリカなどはドライバーが下手くそで、バックで駐車場に入れることもできないと聞いたことがあるので、教習所のようなものがあったとしても、もっと楽なものなのかもしれない。

 通ったことのある人なら分かると思うが、日本の教習所は大変だ。聞いた所によると、私の出身地のように田舎だと、教習官は地元の土地持ちがヒマだからなるのだそうだ。だから、出世とか考えなくともよく、しかも生徒のなかには本物の不良などもいて、「あの教官昔ヤンキーと殴り合っていたそうだよ」なんて噂を私が教習を受けていた九〇年代後半に聞いたものだ。

 もちろん、私が教習を受けた頃にはそんなこともなく、みな優しくなっていた。教習所内における教習も路上教習もほとんど忘れてしまったが、第一回だけは覚えている。教官は四〇代後半で、短躯で髪をぴっちりと後ろにまとめていた。エンジンなどの点検の仕方と乗り込むときの周囲の注意を行って、そのあとはひたすらハンドルを切った。当たり前だが、それでも時間が余ってしまった。その時間教官と話をした。

 「おい、時計を見せてやろうか」

 とスルリと時計を外し、私の手に載せた。黄金色に下卑た光りを放っている時計は、異常に重かった。「すげえだろ」とそのまま数分の間自慢話が続いた。その時計の重さをよく覚えているのと、みな田舎の土地持ちが暇つぶしで教官をやっているというのを信じてしまった。

 

 私の通った教習所は、地域では厳しくて有名だ、ということを入学してから知った。友人にだまされたのだ。まあ、あまり細かいことを気にしなかったが。もう一つ教習所あったのだが、そちらは緩くて有名だった。地域の大抵の人間が緩い方で免許を取っていた。だから、この教習所の教官も優しくなっていったのだ。

 教習は厳しいものだった、ような気がする。一度、車庫入れで思いきり後ろのポールにぶつけたことがあったが、それ以外に大きなミスもなく、教習所内教習は終えた。

 そして卒業試験。

 試験は教官と教習生二人が組んで行い、往路と復路でドライバーを交代する。私が受けた日は真夏の良い天気であった。雲一つ無かった。往路は私が、復路は私よりも少し年上の教習生だったと思う。採点をする教官は、もうすぐ定年という年齢だった。

教習所から車がやっとすれちがえるような細道を走り、二車線の道路に出る。その二車線を右折する。暫く走り、左折する。教習所で教わったことを忠実に再現しながら走った。左折してしばらくすると、丁字路にさしかかる。その丁字路を右折してしばらくすると、交代の場所だ。左折したときから、急速に雲行きが怪しくなった。そして、丁字路にさしかかる手前で、豪雨が降った。車というのは、標識通りに運転すればよい。だが、丁字路の停止線が全く見えなくなった。私はおそらくここだろうという場所で止まった。そうするよりほかなかった。

「ここでいいのか」

禿げ上がった白髪を染めた人工的な黒髪を持った教官が、そう三回聞いた。

そう。実はこの丁字路の停止線は通常よりもずっと手前にあったのだ。狭いのであるが、大型車が曲がるので、停止線の位置が手前なのだろう。聞かれたのだが、見えないのだから、「はい」と言うよりなかった。ちなみに、通常停止線をオーバーしても、バックして正しい位置に停止し直せば問題はない。だから、「下がれよ」という意味で親切に聞いたのだろ思う。

試験は不合格となった。

教習所の待合いで舞っているときに、パートナーの教習生が「あのタイミングで降るとは」と驚いていた。その雨は、丁字路を曲がったときには上がってしまった。試験官が出てきて、「あれは運が無かった」と慰めてくれた。腰に手をあて、缶コーヒーを片手に、遠い目をしていた。

ゲリラ豪雨という名称が流行るずっと前の話である。

 

そんなことがあったので、合格の掲示が出たときには本当に嬉しかったのだ。