三〇日以降の男、まさりんです。
「第十三回 短編小説の集い」に参加します。毎度ながら、ギリギリになってしまって申し訳ありません。ゼロスケさんよろしくお願いします。
「サメ」
そのバーは駅のなかにある。
普段はハードロックに限らず、洋楽のミュージックビデオを流しまくる店だ。酒類も出すし、ソフトドリンクも出す。
駅の改札口から、近くの商店街へと向かう途中、高架線の下のショッピングモールにあり、一日中、人通りは絶えない。
洋楽好きにはたまらない場所であった。駅側の入口から入ると、立ち飲み風の一人掛けの席があり、その奥右手にはカウンターがある。そこではバーテンが腕を振るう。カウンターの逆、奥左手には、一段下がった場所に大人数のお客さんが座れるよう、四人掛け、六人掛けなどの席が並ぶ、二〇畳ほどの空間が広がっている。カウンターから見て、その空間の左右の壁には、百インチはあろうかという巨大モニターが一機ずつついていた。右側の壁は全面ガラスばりになっている。ショッピングモールの外に通じる出入り口がそこにあった。
ある湿度の高い日曜日の午後、店内は満席状態で、怠さを吹き飛ばそうと冷たい飲みもの、特にビールが飛ぶようにオーダーされていた。なぜか女性が多い。
酒のあてには、シーザーサラダやフィッシュ&チップスが人気だった。なかにはビールに激甘デザートをほおばる女性もいた。見てみるとケーキ皿の上に四角いチョコブラウニーが鎮座し、その上に生クリームとバニラアイスがのり、チョコクリーム、ナッツを砕いたもの、チョコチップスがふんだんにまぶされていて、いちばん上にチェリーがちょこんと乗っていた。
もともとミュージックビデオを流している店なので騒々しく、会話の声も大きくなりがちだが、酒や甘いものを与えられた女子にリミッターなどなく、もはや本気で大声話さないと会話が成立しなかった。そんななか、「アラバマの月」という南部アメリカをイメージしたカクテルを片手に悠然と読書する猛者もいた。
店内が騒然とするなか、とあるミュージックビデオが流れた。すると店内の空気が止まった。それはジャクソン5の「I want you back」だった。皆の視線がモニターに集中するなか、幼いマイケルがかすれた声で歌い、軽快なステップを踏んでいた。実際、その光景は、ボクとケンジが見たのだが、「みんなマイケルが好きなんだね」と苦笑いをした。でも良い店だなとも思った。
「アラバマの月」を飲む男がスマホを取り出すと、やおらモニターを撮影した。すると店内は大撮影大会となった。マイケルのアップを狙い、それを挟んでジョッキを持った女性二人が笑顔でパシャリ、さっきのブラウニーの皿とモニターのスリーショットでパシャリ。銘々が好きに撮影をした。うっとうしいのはうっとうしいのだが、和やかな光景でもあった。
かくいうボクも紛れて、女性店員さんを撮影したりして。
やがて仕事を終えたシホが合流した。カウンターから見て、一番左奥の席でボクは壁際のソファーにボク、向かいあう椅子席にケンジとシホが座った。ボクからは店内がよく見えた。シホはここで働いていた。
「さっき面白いことがあったんだ」とボクがさっきのあらましをシホに聞かせた。
「よくあるってほどじゃないけど、有名な曲になるとそういうことは起こることがあるよね。この前なんか、みんなで『Livin’ on a prayer』大合唱してたし」
「へえ。あの人が写真撮り始めたら、空気が変わったんだ。常連さん?」
ケイティペリーの「Roar」に負けないように、大きく胴間声で二人は話す。シホは振り返って男を確認して「あ~」と得心したように眉間にシワを寄せて、大きくうなずいた。「うん、常連さん」とシホが言うと、ケンジも振り返って確認した。男は悠々と読書を続け、「アラバマの月」を飲んでいる。
「昼間じゃないけどね」
店は駅の高架にあるので、終電を持って営業は終りである。が、その後、JRの早番の人間が寝酒のために、店舗を一部だけ営業している。ほとんどもうからない、採算度外視である。そこから口コミで、紹介のような形で入ることのできる人間が増えていった。
こんな時間に集まる連中だ。氏素性をお互いに知られたくない。それに最近の「絆」みたいにノスタルジックなつながりや、人的ネットワークみたいに仕事がなくなると霧消してしまう淡い人間関係やSNSに疲れていた。だから、この店ではあだ名で呼び合うことに決めていた。その男のコードネームは「サメ」だった。
「みんなね、カウンターで飲むの。テーブル席は全部閉じてるからカウンターでしか飲めないの」
あまりにも深夜帯なので、酒を作るバーテンと接客係の女性店員が一組で応対していた。多く来ても一〇人足らずなので、それで充分だった。
九月二十三日はシルバーウィークの最終日で、志保の担当の水曜日だった。JRの職員さん――はさすがにあだ名では呼ばなかった――も仮眠のために店を後にした。バーテンといってもいわゆるオールバックに蝶ネクタイの黒服ではない。白いポロシャツにジーンズ、長髪を後ろで結わえていた。
「もうそろそろいいね」とバーテンが言うと、まっすぐ煙草を前歯で挟んで、「ウーイ」と応えた。くわえ煙草のままカウンターから身を乗り出して、空いたグラスに手を伸ばした。正面の広いフロアの方に違和感を持った。何かがいる。
フロアの電気は消され、椅子はテーブルの上に逆さに置かれていた。床掃除も終わっていた。
「なんだよ、あれ」、固まったシホに気づいたバーテンが言った。言ったついでに、身を乗り出しているシホの尻を触った。女性店員は、黒のポロシャツにミニのタイトスカートをはいていた。
これが可愛いんだ。シホ以外は。とボクは思う。
「いいから見てきなさいよ」
睨みつけてシホが命令した。
「オレ草食系だし、恐いし」
「殺すよ」と言いながらも、暗がりに不気味にうずくまるヤツに近づきたくない気分もシホには理解できた。今日も夕方、ホームレスを一人店から叩きだした。別に金が払えればいてもいいのだが、店のイメージが損なわれる可能性がある。だから店の裏から食料をあてがい追い出す。店にとって正しいと理屈では理解できても、その都度気分が滅入る。自分が非人道的なことをしている気分になる。
「ちょっと様子見ます?」
バーテンの提案を受け入れた。
カウンターなどの片づけをしながら、黒い小山の様子を窺い続けた。たぶんだが、胡座をかいているように見える。あまりにも動かないその姿は、仏教僧が只管打坐しているようにも見える。さもなくば寝ているか。
五分くらいしたあと、「ここにいたか」という声を聞いて、シホたちは顔を上げた。人の影が小山の背に手を置き、立ち上がるように促しているようだ。二人はそのままシホたちの方へ近づいてきた。
一人は見知らぬ顔。一人は常連の『ライオン』だった。
「やあ一杯だけいいかな」
本当に一杯だけ、という約定を交わした。二人は、八人座れるカウンターのど真ん中の丸椅子に並んで座った。こちらから一段下のフロアは暗闇だが、向こうからカウンターはスポットライトの当たるステージのように見えるだろう。ライオンは「パイナップル・ココナッツ・モヒート」、連れは「アラバマの月」を選んだ。
シホは、「あとはやっとくから」と酒を作り終えたバーテンを帰した。もちろん、二人に「明日もあるから帰らせるよ」と断りを入れた。普通、逆だがバーテンはさっさと帰り、ライオンは呆気にとられた。連れは我関せず、だ。
「今時の若者だね。我々が不逞の輩だったらどうするのかね」と、バーテンが消えた扉を見つめながら言った。
「フテイってどうせヤラしい意味でしょ。そんなことしようとすれば、明日には東京湾の底に沈んでると思うよ」
と大きく煙草の煙を吐き出しながら、シホが言った。煙に照明が当たって、入道雲のように湧き上がった。眠気を抑えるために、自然とチェーンスモークになってしまう。気管支にコールが溜まって、胸が重いとシホは感じた。
「ウチの彼氏が迎えに来てて、駐車場で待ってんの。あんまり遅くなると、こっちに来るよ。強いよぉ~、ウチのは」
ライオンは目を丸くする。連れは伏し目がちに「アラバマの月」を飲み始める。
「なにか格闘技でも」
「ただの郷土史家」
ライオンは、そのあだ名通り、恰幅の良い身体を揺すりながら笑った。連れは静かに飲んでいた。その様子を見ていて、シホが「外そうか」と尋ねた。人に聞かせたくない話でもあるのかと察したのだ。
「いやいいんだむしろ、聞いてくれた方がいい」とライオンは返事した。
他の曜日の店員も自分の得意分野を生かした接客をしていた。なぜか占いをする店員が多かった。たぶん、占い師として独立を目指しているのだろう、とシホは睨んでいた。だからか、深夜のバーは「占いの館」と裏で呼ばれていた。
シホは無芸で話を聞くだけだ。だがどんな相談でも話だけは聞いてくれるので、他人と接触を望まない連中でも、せっぱつまったときには話しに来るようになった。
ボクは思う。そういうことするから、シホがつけあがるのだ。みんなのアネキ的な。
ライオンによれば、連れは時流に乗った成功者なのだという。高卒で正社員にはなれなかった。バイトで溜めたなけなしの金をつっこんで株を買った。これが当たった。世はITバブルだったのだ。おそらく彼は投資に向いていたのだろう。小泉景気やアベノミクスで株を、またFXなどの為替相場、など国内市場や新興国市場でも利益を上げた。痛手を蒙ることもあっても、概ねプラスの収支で来ている。高校を出て、元手を作るとき以来、組織に属して働くことはしていない。
「オレら、高校時代ラグビー部だったのね。オレが先輩でコイツが後輩。コイツ今じゃ、まあオレら庶民からすれば、ハデな仕事してるじゃない。でも高校時代は部でも目立たないやつでさ」
ライオンが連れの肩を小突く。連れは冷たくて、するどい視線でライオンを見た。睨んだのではなく、これが普通なのだろう。
「レギュラーでもなくて、試合にもロクに出てなくてさ。ウチは弱くて試合も少ないんだけどね。
スポーツマンがさっぱりしてるなんてウソだよ。しつこくてさ、陰湿でさ。やっかみやがったんだよ、コイツのことをさ。
オレらなんて、三流の男子校でさ。勉強しなかったら人生終りだよ。『真面目に働く』なんて正攻法で人生は回らないんだよ。
そういうことって教えてもらえないじゃない。ただ一生懸命やってれば、って仕込まれるじゃない。ウソだよね。コイツはそれに気づいてさ」と連れの肩を叩いた。すると木製のカウンターの上の紙コースターに置かれた「アラバマの月」のグラスに視線を落したまま話した。小説を書くには白紙が必要だし、人が語るには静寂が必要だ。真夜中のここには静寂があった。
「随分OB会に行ってなかったんです。最後はリーマンショックの前ですか。オレに『サメ』というあだ名が付いているのを知りました。確かにオレは儲けてましたよ。でも別に冷たくもなければ、貪婪でもありません。ああいう煌びやかな世界に憧れはありました。ただ、何も汚いことをしたわけではありません。昔の地上げ屋じゃないんだから」
シホは、随分冷たい、抑揚のない語り方に、冷たさを感じたそうだ。
「その後、リーマンショックが来ました。絶対にバカにされるのがわかっていました。だからやつらに会う気になれませんでした。
久しぶりに今年のOB会に行ったらやっぱり散々でした。
先輩はいいんです。昔もそうだし、今も変わらないで可愛がってくれるから。
『今でも稼いでんのか』とか、『いいなあ、頭の良い奴は』とか言われて」
サメの目に暗い火が点った。それは鈍く、竈の奥にある炭のような暗い赤だった。
「あげく、『震災でいくら儲けたんだ』とか、『お前みたいなやつが利益を優先するから原発が再稼働するんだ』とか、全然関係のないことまで言われました。その場で、飲みなれない酒をガンガン呑んで、気づいたらここにいました。生活パターンが違うとね、普通の勤め人とも接点がなくて、酒を飲む機会もないんですよ」
シホは「知らねえよ」という気分だったらしい。自分でいかがわしいって思ってるから、そうなるんだろ、自分で引き受けろって思ったらしい。
「イヤ、ライオンのヤツが店に来させたいって、名前つけろっていうからさ」
「なんてつけたの」
「サメ」
お前もつくづくヒドい女だよ。
――了――(四九五〇文字)←Word調べ。