今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

「山崎まさよしと仲間由紀恵」がテレビに出ていたところから考えたこと。

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 考えすぎているまさりんです。

 なんか、ブログって、軽いノリで書けば良いんですよね。でも、なんだか考え過ぎちゃって、こんな事書いても面白いと読んでもらえないだろうな、とか、こういうの書いたら傷ついちゃう人もいるかな、とか、余計なことを考えてしまって。

 いいんだよね。自分が面白いって思ったことを書きゃぁ、さ。なんか、なんだろうね。構えちゃうよね。今日はそういう記事です。好きな事を何も気にしないで書く記事。面白くないと思った方は申し訳ない。

 

 

 なんだろうね。

 なんか、楽しくない小説を書いていたからか、気分がへこんでてね。どんな話題でも呼んでいる人は面白くないだろうって思っちゃうんですよね。なにやったかな、今日。特筆すべきことは特にないかな。

 ああ、また「あさイチ」見たわ。金曜日のヤツね。山崎まさよし仲間由紀恵が出てまして。結構この二人好きなんです。いや、好きとも言えないか。山崎まさよしは、あの「one more time, one more chance」が好きだったくらいか。「い~つでも探しているよ。どっかにき~み~の姿を、向かいのホ~ム、路地裏の窓、こんなところにいるはずもないのに」ってやつね。若い人は知らないかもね。昔のラブソングです。

 実は仲間由紀恵はもっと前に出演する予定だったらしく、慌ただしく九時辺りでゲストがチェンジしました。話ぶった切ってね。

 山崎まさよしNHK教育の番組で声優をしているらしく、それ絡みで登場したのでしょう。さだまさしがインタビューで登場、山崎まさよしのギターが上手いと評価していました。「やっぱりトップ行く人間は違うな。飲んでても、手が(エアーで)動いてるんだもん」ということを言っていました。また酒癖が悪いらしく、酔って電話してくると面白いそうです。ものすごい先輩だから、酔っ払わないと電話できないんでしょうな。

 あともともとドラムから入ったそうで、故郷山口の楽器店に寄贈してある、お祖母ちゃんに買ってもらった初めてのドラムセットというのも出てきました。それほど高価なものではないようですが、大事に使われていたのだなというがよく分かりました。

 山崎まさよしのコーナーはさほどおもしろくなかったかな。途中、どっきりで出た宇同アナウンサーの若い頃の映像がすごかった。プクプクでした。漫画のキャラで似た顔がいて、頭の中に浮かんでいるのですが、名前が出てきません。

 

 仲間由紀恵は「TRICK」シリーズが好きでした。というより、本当はそういう意味じゃなくて、上田次郎の方が好きだったのですが。そういう意味ってわかるよね。NHKのドラマに出ていて、それは終わってしまったのですが、森光子が主演していた「放浪記」を継ぐそうで、その絡みで出てたみたいよ。

 番組途中、そのNHKのドラマの方の共演をしていた俳優さん(男優さんて書きそうになった)が、仲間由紀恵についてのコメントをしていて、「たぶん、お笑いが好きなんだと思う。楽屋で『あったかいんだから』をやっていた」というはなしが出てきました。そのあと、いのっちが「楽屋寒くないですか」と聞くのです。すると仲間由紀恵が「うすら寒いかな」と応えました。話の流れから行ったら、「あったかいんだから」を歌わなければいけない場所だったので、当然井ノ原さんにツッコまれていました。

 ドラマで共演していたという二人。携帯の電話番号を交換していたそうです。通常、こういう場合、交換するだけで電話はかけないそうなんですが、ある日仲間から井ノ原に電話がかかってきたそうです。突然、「新車を買ったのですが」と言われて井ノ原さんは「ドライブに誘われるのかな」と思っていたら、「これからドライブに行ってきます。さようなら」と電話を切られたそうです。この話が一番面白かった。天然ぽいですよね。美人じゃなければ、ちょっと辛い人です。

 私は勝手に自分のなかで、「大女優=馬鹿」説を唱えています。ジャニーズなどでアイドルがメインで役者もやっていますというのではなくて、役者で主に活動している人、特に女優さんで生き残る人って頭良いって人いない気がします。それも演技ですと言われればそれまでですが、結構天然っぽいプライベートの人が多い気がします。これにはなんとなく、理由がある気がするのです。

 

ここでいう頭のいい人ってのは、学力が単にあると言うより、理屈っぽく考える癖がある、っていう意味くらいに思えば良い。逆は肌感覚というか、感覚的に演技をするという意味だと思って下さい。憑依型と言えばわかるのか。

 

 外国だと、それについて専門で学べる学校や大学があって、演技論をきちんと積んでいる人もいますし、ジョディ・フォスターみたいに、きちんと学がある人もいます。昔ありましたね。「アクターズスタジオ・インタビュー」でしたか。副学長がでてきて、「アクターズスタジオ」出身者をインタビューする番組。ちょっといまウィキペディアで調べてみたら、ここの出身者すごいのね。アル・パチーノアンソニー・ホプキンスアンジェリーナ・ジョリーロバート・デ・ニーロクリストファー・ウォーケン。演技を学べる学校です。

 一つは文化の差なのかな、と思います。日本での演技、演劇は、なんとなく祭祀と関係があるような気がします。神おろしですな。

 古事記で言う、アメノウズメですね。適当に書いているので間違っていたら申し訳ないです。天岩戸のまえで神がかりになって、両方の乳房を放り出して踊ったと言う神様です。それを見てみんなで楽しそうにしていたら、様子を見ようとしてアマテラスが岩戸から出てくるという話。神がかりって、トランス状態になるって意味だと考えればわかりやすい。神を自己におろす訳ですから、当然中身は空の方がいい。演技をするというのも、人を自己におろす作業とも言えます。おそろしいですが。だから、中身は空の方がよいのかもしれません。

 日本語がそういう作用を生んでいるとも考えられます。日本語って、詩文に向いている言語なんですよね。思考って、言語を使って行なうものだから、日本語を使った思考は、当然感覚的になる。その方がやりやすい。演技に関してもそういう感覚的な思考になる。英語の方が、論理的になりやすい。

 安保を巡る議論もそうですよね。反対する方が「戦争イヤだ」、指示する方が「なんかあったらどうする」。議論がどうも感覚的ですよね。第二次世界大戦に突入した原因が、雰囲気とかムードだと言うけれど、なんとなくわかりますね。昭和天皇が、「戦争は回避できないのか」と閣僚の誰かに聞いたけれど、「そういう空気でございます」(だっけ? 性格出なかったら申し訳ない)と答えた。それで戦争に突入していったという話です。そういうところを変えなければ、変えなければ、とずっと言っていたけれども、結局は変われない国民性なのかもしれません。それを規定しているものの一つが日本語だったりして。

 

 

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